世田谷人気はもう時代遅れ…?「住みたい街」ランキングの真実

30代は「この街」を好む
池田 利道 プロフィール

世田谷人気はもう時代遅れ

一度定着するとブランドは独り歩きを始める。そうなると実態との間に合わない部分が生じてきても、イメージはなかなか修正されない。その代表が西部山の手人気、なかでも西部山の手の雄ともいえる世田谷人気だ。

2000年代前半の東京ウォーカーの『住みたい街ランキング』を見ると、トップを下北沢と三軒茶屋が争っていた。

1995年~2000年の世田谷区の人口増加率は23区中の5位。1990年~1995年では、江戸川区と練馬区以外の21区で人口が減っていたが、世田谷区は減少率が低く、総合順位は4位(表参照)。このころまでの世田谷は、「住む」と「住みたい」が一致し、ブランドが実態を伴っていた。

表には、世田谷区のほかに、杉並、目黒に練馬区を加えた「西部地区4区」と都心3区のデータを合わせて示しておいた。近年目黒区の順位が回復しており、都心型への移行の兆しが見られるものの、「住む」という視点からみたまちの人気は、東京西部において押しなべて低下傾向にある。

逆に、「住む」と「住みたい」が一致するようになったのが都心3区だ。1990年代の「住みたいまち」の調査は見あたらないが、都心は昔から高地価、高所得のまちだったし、麹町に代表されるようなお屋敷街もあった。

 

1990年代というと、港区では「億ション」が話題を呼び、中央区のウォーターフロントにはタワーマンションが建ち始めた時期でもある。都心は、当時から「住みたいまち」としてのブランド力が高かったと想像される。

都心区の人口が1990年代の後半から急増した背景には、都心に住むことによって通勤時間を短くし、余った時間を自分や家族のために使うという新たなライフスタイルの定着が存在している。逆もまた真で、都心まで遠い世田谷や杉並や練馬は、ブランドは高くても敬遠される傾向が、徐々に始まり出している。

まちの将来のカギを握る30代の人口の直近5年間の増加率(杉並区を除く)は、千代田区が1位、港区が3位、中央区が4位。都心人口の増加は、30代がその中心を担っている。

それはとりもなおさず、通勤に時間をかけないという生活の実践者が、若い世代中心であることを意味する。一方、世田谷区は30代の増加率が最下位。西部山の手ブランド、世田谷ブランドは、若いファミリー層にとってもはや過去のものへと化しつつある。