「イスラームには法人がない」という考えから見える、この世界のこと

橋爪大三郎の「社会学の窓から」⑥
橋爪 大三郎 プロフィール

キリスト教社会で「法人」が認められるロジック

主権国家をつくってよい、というキリスト教のロジックをまとめてのべてあるのが、ホッブズの『リヴァイアサン』だ。

その扉の挿絵をみると、無数の人間が集まって、剣をかざした巨人(リヴァイアサン=主権国家)ができている。契約によって法人をつくってよい、それは神の意思にかなっている、という意味である。この書物のなかみは、その証明である。

photo by iStock

だいたい同じころ、ヨーロッパではつぎつぎ、東インド会社がつくられた。株式会社のはしりだ。株式会社なるものが存在していいのか。法人擬制説と法人実在説の論争になった。論争になるということは、現に存在してしまっている、ということだ。

イスラームは、法人非実在説である。論争にもならない。

 

株式会社も、主権国家も、法人で、法的人格をもっている。モノを所有し、契約を結ぶなど、さまざまな行為ができる。主権国家は、戦争もできる。近代化の担い手になる。

Godが人間を造った。そのほかのモノも造った。Godが造ったもの(だけ)が、存在する。そう考えるのが一神教だとすると、イスラームのほうが正しい。

だとすると、疑問はむしろ、キリスト教はなぜ法人が存在してよいと考えるのか、のほうである。

それは、キリスト教には、イエス・キリストがいるからだ。

イエス・キリストは、Godの子で、地上に降りてきた。そして、人びとを教え、弟子のグループを従えた。そして命じた。

人びとに福音(よい知らせ)を伝えなさい。教会をつくって、ペテロ、お前が責任者になりなさい。のちに、使徒パウロは言った。教会の皆さん。皆さんは、教会の手足です。頭であるイエス・キリストとつながっていなさい。

教会は、人間が勝手につくったのでなく、Godの命令でできた。だから、人間の集まりであっても、存在(実在)していいのだ。

教会はよいとして、株式会社や主権国家はどうなのか。

株式会社や主権国家の正体は、契約である。人間の結ぶ契約が、Godの前で効力があるかどうか、という問題だ。