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「イスラームには法人がない」という考えから見える、この世界のこと

橋爪大三郎の「社会学の窓から」⑥

イスラームには「法人」の考え方がない

キリスト教には、教会がある。教会は建物ではなく、人間の集まりである。

イスラームには、教会がない。モスクがあるが、あれはただの建物(集会所)だ。ユダヤ教のシナゴーグと同じである。

ここまでなら、知っているひとは知っている。でも最近、中田考先生と対談していて、その意味あいに気がついた。イスラームは、同じ一神教なのに、なぜキリスト教とこんなに違っているのか。それは、「法人」の考え方がないから、なのだ。

 

中田考先生は、神学を学んだイスラームの研究者。そして、ムスリムである。ムスリムの研究者は、日本では貴重だ。

中田先生とは以前、クルアーン(コーラン)をめぐって対談し、いろいろ教えていただいた(『クルアーンを読む』、太田出版、2016年)。今回の対談の、テーマは戦争。それが、『一神教と戦争』(集英社新書、2018年12月刊)にまとまった。

対談のなかで、法人の話になった。法人とは、自然人(身体をもっている個々人)でなく、人間が集まった組織のこと。教会とか、会社とか、組合とかである。

中田先生は言う。イスラームでは、法人を認めません。クルアーンに、アラーは人間を造った、と書いてあるが、法人を造った、とは書いてない。アラーが造ってもいない法人が、存在すると考えれば偶像崇拝です。なるほど。イスラームは、法人を認めることができないのだ。

これを踏まえると、いくつもの謎がするすると解けていく。法人が認められないから、教会がない。ムスリムはひとつ(ウンマ)にまとまるべき、なのだ。

法人が認められないから、株式会社がつくれない。ついでに利子も禁止。資本主義をやりにくい。法人が認められないから、主権国家がつくれない。民主主義をやりにくい。要するに、近代になりにくいのである。