東大生やその母親が語る「合格体験記」の信頼性が高くない理由

もっともらしく聞こえるが…
畠山 勝太 プロフィール

問題はどこにあるのか

ここまでの議論を呼んで、教育論を語る東大生の母親は、義務教育で習う理科の実験すら理解していないと蔑む人が出てきそうなので何点か補足したい。

以前指摘したように、ハーバード大学に留学するような人や、シリコンバレーで働くような人でも、自分が経験したことで教育論を語ってしまうし、日本人がノーベル賞を受賞すると、スピーチや記者会見で日本の教育について言及するのがお決まりのようになっているが、あれも「エビデンス」に基づく教育ではなく、自分が体験した教育論に過ぎない。

人間はどれだけトレーニングを受けても、一歩自分の専門を離れれば、エビデンスではなく体験でものを語ってしまう生き物なのだろう。

そうであれば、問題は、教育論を語りだす東大生の母親よりも、それを取り上げてしまうメディアの方にあるはずだ。

さらに、「Absence of evidence is not evidence of absence」という諺があるように、「東大合格体験記」は、効果があるというエビデンスがないだけで、効果がないというエビデンスがあるわけではない。

「東大合格体験記」は本当に効果があるのか検証するために、研究者が象牙の塔を離れて歩み寄っていければ良いのだと思う。

〔PHOTO〕gettyimages

私の「東大合格体験記」について

最後に筆者の「東大合格体験記」も話させてほしい。

我が身を振り返ると、私は病弱だったため、母は仕事を休んで私を病院へ連れていったり、授業中に体調を崩した私を迎えに早退したりすることが度々あった。

私はいじめられて登校拒否になった時期もあったし、教員たちと合わず衝突し大事になったこともあった。

それでいて家庭の都合で、センター試験の直前までバイトで自分の用を足すという有様だった。正直、私が自分の子供だったら、現役で東大に入学させるどころか、育てきれる自信すらない。

 

一方で、私の母は、気恥ずかしさから大学の入学式や卒業式にすら上京せず、私の配偶者に子育てについて聞かれても、私の才能は生まれ持ったものだからと教育論を語ることもしない。

暑い夏でも飼い猫にウロチョロされながらせっせと畑の草むしりに勤しむその様や、工場勤めの荒れた手は、お世辞にも東大生の母親には見えない。苦にされることもないが、功績を誇ることもないので周りから褒められることもない。

生まれ持っての気性の激しさゆえに衝突してしまった教員たちに投げかけられた「お前は社会のゴミだ」という言葉通りに私がならず、世界を飛び回って少しぐらいは途上国の子供たちの役に立っているのは、あの母親がいてこそだと私の配偶者は言う。

決して、子供が有名大学に行かなかったから保護者が偉くないということはないし、絶対にありえない。

しかし、普段誰からも褒められない私の母が、子育てを理由に、ほんの少しだけ褒められても罰は当たらない気がする。

東大生の母親というのはそのような存在だと私は思う。

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