秋葉原の電気街は外国人観光客でいつも賑わっている Photo by iStock

英語は通じないのに外国人客が集う「名古屋の商店街」の秘密

シャッター街の驚きべき復活劇

明らかに外国人や「他人」が多い

名古屋駅と名古屋城の間に位置する円頓寺商店街。ぱっと見たところは昭和的匂いがする日本全国どこにでもありそうなアーケード商店街だ。

しかし、この商店街を歩いてみると、他の商店街との違いにすぐに気がつくだろう。それは「歩いている人」だ。ご近所の住民に混ざって、あきらかに他の地域に住んでいる人、そして外国人旅行者が多いのである。

名古屋駅からは徒歩15分のこの商店街に大きなスーツケースをひく姿がよく見られている 撮影/入江啓祐
「どこにでもありそうなアーケード商店街」と山口あゆみさんが話す円頓寺商店街だが、実は数年前まで「どこにでもありそう」どころか、半分以上空き店舗となった「シャッター商店街」だった。奇跡の蘇りを見せたその経緯は山口さんの著書『名古屋・円頓寺商店街の奇跡』過去の記事に詳しい。今回は復活劇に大きな役割を担った「インバウンド」をどのような作戦で得ていったのかをお伝えいただく。京都のような寺社が多いわけではない。秋葉原のように電化製品に特化しているわけではない「地方のシャッター商店街」は、なぜ外国人「も」集う活気あふれる街と変貌を遂げたのだろうか。

「商店街の役割」が大きく変わった

商店街とはそもそも地域の人のためにそこにあり、近隣住民が生活に必要なものを調達する場であった。郊外型の大型ショッピングセンターが登場する高度経済成期までは、街の中心にある商店街はその地域の商売をほぼ独占していた。

商店街に並ぶ品物が、その地域で手に入る商品のセレクションのすべてだった。商店街のまわりには住民がたくさん住んでおり、商店街が行う販促イベントは近隣住民により足を運ばせ金を使わせるための仕掛けだった。

しかし、人々は郊外に住むようになり、買い物も場も多様化した。「商店街=近隣の人の日常の買い物の場」という構造自体が失われ、商店街はシャッター街となった。だから、元気をなくした商店街が従来型のイベントや販促に一生懸命力を入れても、商店街活性化の効果を生まないのである。

円頓寺商店街は名古屋の三大商店街のひとつで、その発祥は清州越しにあり、江戸から昭和40年代にかけてまさに近隣の商売を独占する賑わいを見せていた。しかし、平成に入った頃には、日本全国にどこにでもあるシャッター商店街になった。

ところが、そこから”奇跡的“に甦り、いまでは名古屋でもっとも人気のあるエリアのひとつとなっている。

空き店舗・空き家対策を、リノベーションと個性的で力のある店を誘致することを支点にして活気を取り戻したのだが、その店舗誘致を含め、近隣だけでなく、円頓寺とそれまで縁がなかった店や客を呼び込んだことが成功の鍵となった。そして、呼び込むだけでなく、円頓寺商店街自らも外へ関心を広げ、繋がっていくことにより、その復活を「進化」させている。