〔PHOTO〕gettyimages

米中が独裁的国家となった今、世界が歪み始めているという「現実」

世界の行方を占う二つのこと

世界の行方を占う二つのこと

2019年の始まりにあたり、やや出遅れた感はあるが、国際社会の「ゆく年くる年」を行ってみたい。

昨年起きた出来事のうち、これからの世界の行方を占うために特筆したいのは次の二つである。

①グローバリゼーションのラッダイト運動(イギリス産業革命下の機械破壊運動)にも映るフランスでのマクロン大統領に対する抗議デモと、その結果としてのマクロン改革の挫折

②二大経済大国(アメリカと中国)がともに独裁(的)国家となり、世界のモラル・コンパス(道徳的羅針盤)が麻痺しかけているという現実

 

それぞれのケースを考察する前に、まずは世界の潮流を押さえておきたい。

今、世界を見渡して認識を新たにせざるを得ないのは、「グローバリゼーション病」の症状悪化だ。

カルテに記されるその症状は、格差拡大が導く「エリートVS大衆」の緊張関係と社会の様々なレベルでの分断(貧富、世代間、都市と地方など)、破壊行動に転化する怒りのポピュリズム、その不満を外に向ける排他的なナショナリズムの高揚、などである。

これは14世紀の黒死病や20世紀初頭のスペイン風邪の流行にも似た、21世紀初頭の主権国家のパンデミック(世界的流行)なのではないかと思えてくる。

そしてこれに追い打ちをかけているのが、IT(情報技術)やAI(人工知能)、ロボット技術の加速度的な進歩に伴う劇的な効率化という社会の激変だろう。

来るべき大激流に飲み込まれず生き残ることは、多くの人々にとってこれまでのグローバリゼーション以上に困難となるかもしれない。

制御することがますます困難になっているかに見える世界の在り方について、先に挙げた二つの出来事から考えてみたい。

反マクロン運動が映し出す政治の危機的現状

フランスで昨年11月以降、波状的に激化した反マクロン政権デモはグローバル化時代の国家運営の難しさを分かりやすく映し出した。

それは、グローバルな市場経済で国家が生き残ることを最優先する政治的エリートの「論理」と、グローバル経済の恩恵から見放され、将来になんら期待の持てなくなった大衆の「怒り」が、真っ向からぶつかり合う姿である。

マクロン大統領は、フランス経済の競争力を高めるため、財政規律を重視(緊縮財政)し、高額所得者への富裕税の廃止や法人税減税で投資を呼び込むインセンティブ(誘因)を設け、企業活動優先の労働市場改革(従業員のクビを切りやすくする)などを急ピッチで進めた。

これは、弱肉強食の市場経済を勝ち抜くための教科書的な処方箋なのだろう。

〔PHOTO〕gettyimages

分かりやすいのは、各国による法人税率の引き下げ合戦だ。

「race to bottom(底辺への競争)」と形容されるこの競争は、自らの首を絞めると分かっていても、やらなければ企業の誘致合戦で負けてしまうという市場経済の宿痾だ。

言うまでもなく、格差拡大の根源的な問題は、仮にこうした改革がGDP的成長を呼び込んだとしても、その配当が庶民大衆層まで行き渡らないという経済社会的に不平等な構造にある。

そして、反マクロン運動の呼び水になったのは、温暖化対策のための燃料税引き上げだった。収入が上がらない一方で生活コストの上昇に苦しむ労働者層、低所得層の不満を爆発させたのである。

温暖化対策という公共善を追求するマクロン大統領には、燃料税の引き上げが庶民大衆に及ぼす影響への想像力が働かなかったのだろう。

その結果は、「黄色いベスト運動」として知られるデモの全国的な拡大と、それを受けた燃料税増税の中止やボーナス・残業収入への非課税措置導入というマクロン改革の挫折である。

反政権デモが一部暴徒化する中での劇的な政策転換は、マクロン大統領のポピュリズムへの転落にも見えた。

フランスは革命の国だ。そのフランスで主要政党に背を向けた大衆行動が政府をねじ伏せた動きは、政治がより市民に近づく兆候なのだろうか。