丸佳浩は巨人の「緊張感とストレス」に耐えられるのだろうか

恵まれた環境に人はなかなか気づかない
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規格外の成績を叩き出し、選手として、まさにこれから脂が乗り切ろうとしている時期の移籍。

普通に考えれば、巨人でも十二分に活躍が期待できるだろう。

だが、これまで丸と同じようにピークの時期にFA宣言して巨人に買われていった選手たちの姿を思い出すと、そのほとんどが移籍後に幸せな選手生活を送れてはいないのが現実だ。

 

外様は「傭兵」扱い

古くは落合博満('93年、中日から移籍)、清原和博('96年、西武から移籍)、江藤智('99年、広島から移籍)と、いずれも前所属球団で打線の中核を担い、巨人でも同様の活躍を期待されながら、独特の重圧に耐えかね、思うような結果を残すことが出来なかった。

そして、期待したほどの結果が出せないと見るや、落合は後釜として清原をすえられ、江藤は小久保裕紀('03年、ダイエーから移籍)に居場所を奪われた。

こうして、多くの外様選手たちは、外から新たに連れてこられた選手に取って代わられ、さらなる移籍か、静かな引退を迫られる。

ごく稀に、外様としてのプレッシャーに打ち勝ちフロントの期待通りの成績を挙げ続けたとしても、巨人で現役生活を終えられるとは限らない。

外様ゆえに寂しい最後を迎えたジャイアンツ戦士。その代表例が、小笠原道大(現中日二軍監督)だろう。

日本ハムから巨人へと移籍した1年目の'07年からクリーンナップに座ると打率・313、31本塁打、88打点の成績を残す。その後、3年にわたり主軸を担い続け、巨人のリーグ3連覇に大きく貢献した。

だが、一度成績に陰りが出始めると一気に出場機会を減らされ、長い二軍暮らしを余儀なくされた。結局、飼い殺しの状態に耐えかねて中日に移籍し、そこで現役を終えている。

最近では、今オフに引退したばかりの村田修一('11年、横浜から移籍)への冷たい「仕打ち」も記憶に新しい。

村田が巨人から戦力外通告を受けた'17年の成績は、14本塁打58打点。全盛期からすれば陰りが見えたとはいえ、前年にはチームトップとなる25本塁打81打点の成績を残している。

それでも、鹿取義隆GM(当時)は「チームの若返りを図るため」という理由をタテに、2000本安打に残り135本まで迫っていた村田を切り捨てた。村田はNPBで引き取り手のないまま、BCリーグでひっそりと引退した。

同じ30代後半で、ここ近年打撃成績が低迷している阿部慎之助や亀井善行がいまもチームに残っていることを考えれば、村田が「外様」という理由で切られたのは明らかだろう。

他球団のおよばない好条件を見せつけ、熱い言葉を並べ立てて連れてきても、力にいささかでも衰えが見えてきたら、それまでの功績や実績にかかわらず「次」を連れてくるか、無残にも切り捨てる。

巨人にとって、他球団出身の選手たちは、まさに急場をしのぐための「傭兵」に過ぎないのだ。

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FA選手たちが、交渉のときに示された溢れんばかりの熱意はかりそめのものだ。移籍によって、むしろそれが不幸への第一歩だったことに気づいたときには、もう遅い。すでに巨人のフロントの関心は、次に連れてくる新たな傭兵へと無情にも移っている。

それでも、「まだ昔は捨てられるとわかっていても巨人に移籍するメリットはいまよりずっと大きかった」と語るのは、巨人OBの西山秀二氏だ。

「僕が広島から巨人に移った'04年は、まだ巨人がまごうことなき『球界の盟主』だった時代。他の11球団とは待遇面でずいぶん違いがあった

。しかも、日本全国に巨人ファンが山ほどいたのでキャンプ中もサインを始めたらキリがないくらい書かないといけないほどでした。

地上波での試合中継が多くて名前も売れるし、引退後もまず仕事に困らないと言われていた。色々な面で、巨人でしか味わえない『特権』がありました」

だが、時代は変わった。いまや地上波中継はすっかりその姿を消し、地元密着を掲げた広島や日本ハムが着実に熱烈なファンを増やしている。巨人はもはや、かつてのような憧れの的ではない。

こうした人気の面とは別に、かつて巨人にFA移籍する選手は、「優勝するために巨人にきた」と語る事が多かった。

巨人に身をおき、これまでの球団ではなかなか経験することのできなかった優勝の美酒を味わう。そうしたモチベーションがあれば、プレッシャーを感じたとしても巨人に移籍する意味は大きいのだろう。

だが、丸が所属していたのはリーグ3連覇を果たし、いまや「常勝軍団」の名をほしいままにしている広島カープだ。ここ4年間、リーグ優勝から遠ざかっている巨人に身を置くメリットはない。