2019年の第95回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、東海大学が悲願の初優勝を果たした。初出場から46年目にして大会新記録、10時間52分09秒を樹立しての見事な優勝だった。
「絶対王者」青山学院大学は箱根と並んで学生3大駅伝と称される出雲(出雲全日本大学選抜駅伝競走)、伊勢(全日本大学駅伝対校選手権大会)を制しており、3冠と箱根駅伝5連覇が目されていた。しかし、東海大、往路優勝の東洋大をはじめ、総力が上がったチームが増えた史上稀に見る激戦を下すことはできなかった。
往路でエースの森田歩希が3区で7人抜きを果たしてトップに立ちながら、4区と5区で予想外のブレーキとなり、まさかの青学6位復路スタート。それでも青学は諦めなかった。
区間新記録の57分57秒を出した6区の小野田勇次、2年連続区間賞に輝いた林奎介を含め、復路で区間賞3人(うち2人は区間新)の堂々復路優勝。スタート時点5分30秒差からの驚異の追い上げを見せ、復路大会新記録での準優勝ゴールにより、「やっぱり青学は強い!」と、改めてその底力を見せつけたのだ。
区間新記録が10区中8区間も更新され、「史上最速のレース」となった2019年の箱根駅伝。そのレベルを高めたのは、青学大という存在だったことは間違い
実況ではずっと「絶対王者・青学」と呼ばれていたが、
そして今回は「打倒青学」をもとに多くの大学が力を上げた。それゆえに「最速の箱根駅伝」となったのではないか。
さて、青学を「王者」にまで押し上げたのは、原晋監督の個性的かつ強力なリーダーシップと巧みなマネジメント力に加えて、ライバル校に先駆けていち早く取り入れてきた体幹トレーニングを始めとするフィジカル面の強化が挙げられる。
このフィジカル面の強化の立役者が、箱根初優勝の前年から青学駅伝チームのトレーナーを務める中野ジェームズ修一さんだ。中野さん監修の書籍『みんなのストレッチ』には、選手たちも実践するストレッチが紹介されているが、その動画とあわせて、中野さんを長く取材してきたライターの井上健二さんが、青学を支えたそのメソッドと効果をお伝えする。
青学大を陰で支えてきたフィジカルトレーニングは体幹トレだけではない。その存在を忘れてならないのは、地道なストレッチだ。
駅伝を快走する長距離ランナーは、長い距離を踏むハードな練習をこなさないとスピードもスタミナも高まらない。青学大の選手は月600km前後の練習をこなしているというし、ライバル校では月800km以上の練習を課しているケースも少なくない。
だが、練習量が増えるほど、特定の部位にダメージが集中するオーバーユースによる故障リスクは高まる。実際、豊富な練習で記録を順調に伸ばしてきた有力選手が本番前に疲労蓄積による故障で出場回避に追い込まれてしまい、オーダー変更を余儀なくされてチームが下馬評を下回る結果に終わる事例は珍しくない。
その点、青学大の強みは、故障による有力選手の戦線離脱がほとんどなかったことだ。だからこそ原監督は思い通りの理想的なオーダーが組めてきたし、本番でも選手たちは思う存分実力を発揮して最高のパフォーマンスを残す。それを可能にしているのが、トレードオフの関係にある練習量と故障リスクの矛盾を解決するストレッチなのだ。
青学駅伝チームは2015年の第91回箱根駅伝で初優勝して注目を集める。それは原監督の就任12年目の年だ。原監督が指揮を執るようになってからようやく5位に入るという快挙を成し遂げるが、それまでは予選会すら突破できない弱小チームだったのだ。
初優勝の前年に原監督の要請を受けて同大のフィジカルトレーナーに就任した中野ジェームズ修一氏が体幹トレと並行して真っ先に導入したのは、ストレッチでケアする習慣の徹底だった。
「それまでも選手たちはストレッチをやっていましたが、体系化されておらず、ランニングに必要な筋肉が網羅されているわけでもありませんでした。そこで練習前のアップ、練習後のダウンにルーティンとして体系的なストレッチを導入したのです。
ストレッチなどのケアの時間が長くなると、相対的に走る練習量が減ります。それを嫌う指導者もいますが、原監督は『たとえ練習時間が短くなってもいいから、ケアに力を入れて故障を減らしてほしい』というスタンスでした。そうしたリーダーシップがあったからこそ、私たちトレーナーも選手と真摯に向き合えたのです」(中野ジェームズ修一氏)
ひと口にストレッチといっても、青学駅伝チームが行っているストレッチは、アップの時とダウンの時とではタイプも違うし、目的と効用も異なっている。
練習前のアップに取り入れているのは、筋肉をリズミカルかつダイナミックに動かしながら、関節の動きをスムーズにする動的ストレッチだ。
「ランニングという動作で鍵を握る股関節と肩甲骨をメインにプログラムを組んでいます。いきなり複雑な動きを伴う動的ストレッチを行うのは選手にとってはハードルが高すぎるので、簡単な動きで行える8〜9種目を組み合わせた『バージョンA』からスタートしました。
本音を言うと『バージョンA』では物足りないのですが、トレーナーの意向を一方的に押し付けて選手が『難しすぎてできない!』と敬遠してしまっては何にもなりません。そこで種目数を絞ったシンプルな動きから指導を開始したのです」