Photo by iStock

「新聞はデマだらけ」言説は、80年代保守論壇ですでに大流行だった

イタイイタイ病の被害もデマと目された

1984年の『諸君!』を読む

「デマだ」という主張そのものが「デマ」であるケースを、現在ではよく見かける。

このようなデマのうち、一番ネット上で多く見かけるのは「朝日新聞はデマ新聞」のような意見だろう。左派・リベラルだと思われたメディアがネガティヴな報道を行うと「デマ」「捏造」と決めつける人々がたくさん現れるのは、日々のネット上の当たり前の風景になっている。

たとえば森友学園問題のときに、「朝日新聞はデマ新聞」だと主張し、捏造だと主張し続けている人々がたくさんいたことは記憶に新しいだろう。

〔PHOTO〕iStock

その中に、普段放射性物質に関するデマを糾弾している科学者も含まれているのを見て、暗澹たる思いに囚われたことをよく覚えている。後に朝日新聞が様々な証拠を公表し、調査が進んでいくにつれて、それがデマではなかったことが明らかになっていると思う(嘘をつき書類を捏造していたのは、財務省などの側であった)。

これは「〇〇新聞はデマだ」という主張こそがデマである、という頻発している事態の一例に過ぎない。

この記事で考察してみたいのは、「〇〇新聞はデマ」的なバイアスが、一体いつごろ形成されたのかである。正確にそれを特定するのは非常に困難で、未だ調査の途上であるという前置きの上で言えば、それは1970年代、80年代には既に現れていることが分かった。

 

特に、1980年代の『諸君!』『正論』などの保守論壇でその論調が大ブームになっている。「〇〇はデマ!」と主張する側が実はデマだった、というケースも80年代には存在していたことも分かる。現状の問題を理解し突破する参考になると思うので、80年代の議論を、皆さんにもご覧になっていただきたい。

以下は、1984年の『諸君!』の目次の一部である。

1月号:阿川弘之「私達が新聞を信じない理由」渡部昇一「「角栄裁判」は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」
2月号:屋山太郎「毎日新聞も日本のプラウダか?」
3月号:香山健一「「1984年」の朝日新聞」
4月号:佐瀬昌盛「INF交渉・これだけの虚報-3-新聞は反核興奮剤の常用者」佐々克明「"ミスター朝日新聞"への鎮魂歌 」
8月号:田久保忠衛「朝日新聞・社説子にモノ申す」
11月号:三浦朱門「アンケート特集 「虚報」「誤報」「曲報」を再点検する」
12月号:佐瀬昌盛「ひそかに変造された朝日新聞縮刷版――「伊藤律架空会見記」以来の大珍事」

ここにあるのは「朝日新聞はデマ新聞」的論調である。それは80年代の保守論壇には既にあった。朝日新聞はデマ新聞で、東京裁判はでっち上げで、私たちはWGIP(GHQが戦後すぐに行ったと言われる、日本人に戦争の罪悪感を植え付ける占領政策)に洗脳されている、という「メディアが現実を構築しており、私たちは騙されている」という世界観が保守論壇の中で形成されている。