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古代からルネサンスまで、思想史の深部を流れる「記憶術」とは何か

ムネモシュネの饗宴への招待

え……っと、今何しようとしてたんだっけ? 

ふと、なぜ自分がそこにいるのか、思い出せなくなることがあるだろう。そんなとき、あと戻りして一連の動作をやり直すと、記憶がよみがえることがある。

ある空間・場所と、そこで思考していたことが、密接に結びついているのだ。

「空間」で「思考」する

西欧では、古来、空間の移動は思考のメタファーでもあった。精神や心の内奥を、一種の仮想空間のように思いなす伝統があったのだ。その空間は心の目でのみ見ることができ、その各所に様々な情報が保管されている。

だから、何か思考を展開するときは、心眼で散歩し、必要なデータを集めて、考えを組み立ててゆく。「回想・想起する」を意味する英語の “recollect” が、元をただせば「再び集める」という原義にゆきつくのも、そうした背景があるからだろう。

まだ神々と英雄が共存していた太古の昔の記憶は、語り部たちによって口頭で伝承されてきた。

彼女たち/彼らの心の中にはきっと壮大な空間が広がり、そこには鮮やかなイメージばかりでなく、吟唱の際の心躍る旋律や風韻、薫香の刺激、供物や神酒の味覚、数珠や杖を操る際の手触りの感覚などが混然と一体化しつつ、しっかりと場所に結びついて保管されていたに違いない。

瞑想によって心の中を移動すれば、何時間でも滔々と詠ずることができたのだ。

「記憶術」の誕生

やがて文字が生まれ、書記文化が発展すると、その種の情報整理の方策が、一種のテクニックとして体系化される。そうして生まれたのが「記憶術」なるヴァーチャル・データベース構築法であった。

やがて近代を迎えて衰退するまで、それは創造的思考には欠かせないツールでありつづける。『記憶術全史──ムネモシュネの饗宴』(講談社選書メチエ)は、西欧の思想史の深部を流れるこの知的方法論の消長史を丹念に追いかけたものである──。

……などと書くと、身構えてしまうかもしれないが、術の根本原理はいたって簡単だ。まず情報の容れ物となる仮想空間を頭の中に描く。次に、覚えたい情報を、意味のまとまりごとにイメージに翻案してゆく。

それら一連のイメージを先ほどの空間(建築)に置き、場所と絵をセットで覚える。あとは想起したいときに瞑想し、画像に出会うたびにそこに託した情報を取り出してゆけばよい。