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土佐の漁師から日本初の「国際人」に!…ジョン万次郎の奇妙な冒険

壮大な絵入り「ドキュメンタリー」

高知に着くと竜馬がお出迎え

「初空や龍馬のブーツ海へ向く」。数年前、結社の新年句会でけっこう受けた一句だが、好評の半分以上は、「国民的ヒーロー」の名前のおかげだったかもしれない。

2003年の11月15日、高知空港が「高知龍馬空港」という名称に変わった。もちろん、これはあくまで「ニックネーム」。それにしても、県の玄関口である空港にニックネームとはいえ人名を入れるとは、まあ、大らかな風土の高知ならではの発想だろう。

その頃私は、「高知龍馬空港は、世界的偉人名入り4大空港のひとつである」とよくいっていた。ローマのレオナルド・ダ・ビンチ空港、パリのシャルル・ド・ゴール空港、ニューヨークのJ・F・ケネディ空港、そして、「我らが高知龍馬空港」というわけだ。

その後、だじゃれ好きの大橋巨泉さんが作ってくれた高知県の観光キャッチフレーズ「リョーマの休日」の後押しもあってか、「高知龍馬空港」はすっかり定着、ニックネーム空港として初の成功例となった。

その後ネーミングは人間界から離れ、「米子鬼太郎空港」とか「徳島阿波おどり空港」といった具合に全国に広まっている。

 

さて、その「高知龍馬空港」の2階出発ロビーには「幕末、明治維新期の土佐に関連する偉人たち」ということで、6枚のパネルが展示されている。

土佐藩主の「鯨海酔侯」山内容堂、陸援隊長中岡慎太郎、三菱の始祖岩崎弥太郎、中浜万次郎(ジョン万次郎)、河田小龍、そして勝海舟の6名。土佐の、とはいいながら、そこに勝が入っていることから、やはりこれは「高知龍馬空港」命名を記念した「龍馬関連の」人々なのだということが了解できる。

竜馬を日本人へと導いた二人の土佐人

この6人の中で、ジョン万次郎と河田小龍については少し説明が必要かもしれない。国民的小説といわれる司馬遼太郎氏の『竜馬がゆく』によれば、修業時代の竜馬に海外事情と外洋渡航の重要性を説いたのが河田小龍。その小龍の西洋知識の多くは万次郎によるものである。

また、のちに勝の軍艦操練所教授になった万次郎と書生の竜馬が早口の土佐弁で会話を交わし、江戸っ子の勝にはさっぱり分からなかった、といういかにも小説らしい描写もある。