宮本恒靖がボスニアとのサッカー交流にいま力を注ぐ理由

「希望の橋を架けたいから」

サッカーと日本とボスニアと

マリモストというプロジェクトを知っていますか?

それはボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル市にある現地の言葉で〝mali(小さな)、most(橋)〟という名の、スポーツアカデミー。宮本恒靖が中心になって2016年10月に開校してから2年が経った。

年末、宮本が発起人となって設立したNPO法人「Little Bridge」の活動報告会が都内で行なわれた。マリモストの活動を支えるこの「Little Bridge」は、昨年から日本とボスニアの子供たちが交流するスタディツアーを展開している。

昨夏はマリモストの子供たちを日本に招待し、今夏は日本で子供たちの参加を募ってボスニアに渡った。宮本は報告会の席で日本の子供たちからスタディツアーの感想を聞いていた。

「去年、ボスニアの子供たちが日本に来てくれて、ホームステイしながらサッカーの試合を見たり、岸和田のだんじりを体験したり……短い間でしたけど楽しんでくれました。今年は日本からボスニアに行ってマリモストの子供たちと交流してもらった。知らないところに来るだけで、行くだけでいろんなものを感じてもらえる。子供たちの考えや行動の広がりにもつながっていければいいなと思っています」

彼はそう言って、柔らかい笑みをこちらに向けた。

マリモストを立ち上げた意味。

1990年代初頭、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」であったユーゴスラビアは東欧民主化の流れを受けて社会主義国家の統制が崩れ、1992年から起こったボスニア・ヘルツェゴビナ紛争では約4年間で20万人以上の死者、200万人以上の難民を出した。紛争終結後もムスリム系、セルビア系、クロアチア系など民族間には強い対立感情を残す形となった。

美しい街並みが破壊され、子供たちがスポーツを楽しむ場所もなくなった。宮本は現役を引退してからスポーツ学の大学院「FIFAマスター」に入学し、グループで取り組んだ修士論文のテーマが『ユーゴスラビア紛争後に民族が分断されてしまったボスニア・ヘルツェゴビナのモスタル市に子供対象のスポーツアカデミーをつくり、スポーツを通して民族融和を進めることは可能か』だった。

現役時代、ガンバ大阪に在籍していたムラデノビッチ、スクリーニャ、ブーレら旧ユーゴスラビア出身の外国籍選手から紛争の話を聞いていた。心の片隅に、ずっと残っていた。彼はFIFAマスターを修了後、グループで実現に動き出し、モスタル市や日本政府の協力も後押しとなって開校にこぎつけたのだった。