# フェミニズム

女子学生が抱いた“ある嫌悪感”から考える「女子のフェミ嫌い」問題

フェミニズムをめぐる2つの論点
森山 至貴 プロフィール

だから、フェミニズムの理念には賛同するけれども、男性が女性のお株を奪って「フェミニスト」の声を代表してしまわないように、フェミニストを名乗るのは女性だけにすべきだ、という考えもある。私自身はこの考えに近い。

マンスプレイニング(男性が女性に対して「君の話している事柄については俺の方がよく理解している」との前提に立ち、上から目線で説明してしまうことを指す)を発動して、「正しいフェミニズムを女性に教えてあげよう」などと言ってしまうような迷惑な男性には私はなりたくないからだ(こういう男性は残念ながらものすごく多い)。

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もちろん、私自身もフェミニズムの理念には賛同しているし勇気づけられてもいる。だから、『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)といったタイトルの本を読めば、そのとおりだとも思うのである(もちろん、男女以外の性別の人も「フェミニストでなきゃ」ね)。

 

だから、男性がフェミニストを名乗るか否かそれ自体というよりも、女性の声が尊重されるフェミニズムを守り発展させるためにふさわしい男性のかかわり方はどのようなものか、というのが正確な論点なのだとも思う。

ところが、である。ここは教室である。学生が話すのは大歓迎なのだが、だからといって教師である私が話さないのは単なる職務放棄である。男性が話して、女性が(も)聞く、という役割分担をなぞらざるを得ないこの場面で、私は何を言えるのか? そもそも、フェミニズムについて何かを言ってよい権限は、男性である私に本当に与えられているのか?

男のフェミニズムとの関わり方

私のこの個人的な体験には、フェミニズムにおいて重要な二つの論点、女性の主観的な感情の経験、男性のフェミニズムへのかかわり方が関係している…とまとめてこの文章を終えたいのだが、そうもいかないだろう。「で、結局お前は学生になんと言ったのだ?」という問いには答えないといけない。

私はこう学生に話した。

「もし、主観的な経験のエピソードは学問としてのフェミニズムの題材に値しない、ということになれば、フェミニズムはその対象とならない経験(やそれを経験した女性)を設定することになる。

あなた(のその経験)はフェミニズムとは関連しません、と言われる女性があらかじめ決められてしまっているというのは、フェミニズムの精神と相容れないように私は感じるし、個人的には受け入れがたい。

あなたは、あらかじめ排除すべき女性(の経験)が決まっているフェミニズムを、正しいフェミニズムのあり方だと考えますか」

…正しい応答を正しいやり方でできたのかも、私にはわからないし、その自信もない。もう5時限目は終わってしまう。結局学生の答えも聞けずじまいだ。まだ授業は数回残っているから、今度の授業ではもう少し学生の本音を聞き出したいな、と思う。

その程度のことならば、あるいはその程度のことからこそ、私はやっていけるはずだし、それこそが私とフェミニズムとのかかわり方だとも思うのだ。