# フェミニズム

女子学生が抱いた“ある嫌悪感”から考える「女子のフェミ嫌い」問題

フェミニズムをめぐる2つの論点
森山 至貴 プロフィール

だから、フェミニズムはこれまで、女性たちの主観的な感情の経験を、まずはいったん受け止めて認める、というやり方を貫いてきた。その感情を抱いたことに無限の「挙証責任」を負わせてあらかじめ口を封じるやり方に、フェミニズムはずっと抵抗してきたのだ。

「個人的なことは政治的なことである」という1960〜70年代のフェミニズムのスローガンにも、最近のMeToo運動にも、女性の主観的な感情を受け止めるというフェミニズムの思想が明確に含まれている。

女性の「お気持ち」として片付けていいのか

残念なことに、現在でも女性の主観的な感情はしばしばないがしろにされている。典型的なのは、ネット上でフェミニズムを批判する際に使われる「お気持ち」という言葉だ。フェミニズムは客観的事実でなく女性の「お気持ち」なんかにかかずらっているからダメなのだ、というわけである。

「女性は感情的なので理性的な対話が可能な相手ではない」という主張にフェミニズムは長年反論してきたが、「お気持ち」論法も、この種の偏見のひとつのバリエーションにすぎない。

 

社会のあらゆる場面で男性の「お気持ち」がいかに忖度され斟酌されるかを考えれば、この揶揄がどれほどアンフェアなものかわかるだろう。「お気持ち」などといった揶揄があるからこそ、今なおフェミニズムは女性の主観的な感情を守る必要があるのだ。

という説明を簡潔にまとめてしようかな、と思って、はたと気づく。二人の学生の抱いた「嫌悪感」もまた、女性の主観的な感情の経験だ。私の説明のしかたによっては、「あなたのその主観的な感情の経験は間違いだ」と学生を否定することになってしまう。それは、フェミニズムの精神にむしろ反する行為なのではないか?

男性はフェミニストになれるのか問題

そして、もう一つのさらに厄介な論点がここにある。つまり、学生に説明する私は男性だということである。

フェミニズムについてよくとりあげられる論点の一つに、「男性はフェミニストになれるのか」というものがある。フェミニズムが女性の社会構造上の不利益をなくし、その生きづらさを解消すべきだとする考えならば、そう考えている男性もまた、女性と同様にフェミニストと名乗ってよいのではないか。素直に考えればそうなるはずだ。

ところが、実際に男性も女性もフェミニストになると、「フェミニストの意見」として受け止められるのは圧倒的に男性の方の声になってしまう。私たちは「男が話し、女が聞く」ことを「普通」とする社会を生きているので、男性と女性のどちらにも発言権が与えられていても、実際には男の意見ばかりが通ってしまうのである。

残念ながら現状では、社会的な影響力が大きな決定になるほどその傾向は顕著になりがちだ。もちろん男性の努力によって解消しうる場合も多いが、気がつかぬうちに男性が女性の発言権を奪ってしまう、という可能性はとても高い。