当時の結核の猛威はすさまじいものだったので、もし、この法案が通過していた際の犠牲の規模を想像するとぞっとする。実は、筆者の父親も、戦時中に結核で療養していた。

親に看病され肩身の狭い思いをしていたであろう病身の父が、そんな手術を強制されていたかもしれないと思うとやりきれないし、そもそもそう思っている私自身が、今、ここに存在していなかった。当時、結核は、徴兵検査に合格しない者の増加の一因であり、富国強兵政策の足を強く引っ張る病とも見られていた。

民族優生保護法案は議会を通らなかった。結核は、やがて特効薬である抗生物質ストレプトマイシンなども現れターゲットからはずれる。しかし、優生の考え方を引き継ぐ法案の提出はそのあとも続き、昭和15年、旧優生保護法の前身である「国民優生法」として結実したのだ。

現代版の結核とは何かと考えると、それは、高齢化社会に重くのしかかる認知症や糖尿病だろうか。現代では、それらの病気のかかりやすさを調べる遺伝子検査は、ネットでもおこなわれている。そのことを思えば、この強制不妊手術の歴史は、大変身近な問題として誰の心にも恐怖が迫ってくるはずである。

気がついたら産めなくなっていた

強制不妊の訴訟は、また「リプロダクティブヘルス」の権利を奪われたとしていることにも、注目してほしい。リプロダクティブヘルス・ライツは、「子どもを持つか持たないか」、「持つならばいつ何人産むか」を、正しい情報と安全な手段が提供されたうえで本人が選べる権利だ。1997年にカイロ国際人口開発会議で採択され、基本的人権のひとつとして国際的に認められている。

旧優生保護法が優生的な条文を削除し法律の名前を変えたのも、この採択が外圧として働いたためと考えられる。この権利の啓蒙書として世界人口基金が出している「世界少子化白書」は、2018年に新版になったが、それを見ると、この権利が阻害された場合に女性やカップルがさらされる危機として、ワークライフバランスの問題による不妊にも触れられている。発展途上国での避妊の推進ばかりではない。

現代女性たちの高齢妊娠や不妊治療経験談を取材し続けてきた私は、強制手術を受けた方の出産は一度も取材したことがないのに、同じ根を持つ悲しい話をたくさん聞いて来たような気がしてしかたがない。今、報じられている被害者の方たちの声を読んでいくと、よくこのような言葉に出会う。

「意味がわからないまま手術を受けた」

「子どもが産めないと知ってとても悲しかった」

「世話になっている人から説得されて抵抗できなかった」

自分がやっていることが妊孕性にどうかかわるのかわからないまま、周りに流されてしまってあとで後悔する――私には、こう訴える方たちの姿が、高齢で妊娠しようとする人たちの姿にぴったり重なる。

「40代で産んでいる人はたくさんいる」と妊娠を先送りしたために子どもを授からなかった人たちも、「妊娠力が衰えるのがこんなに早いとは誰も教えてくれなかった」と言った。もっと若い時に妊娠を考えたが、 上司から「妊娠しないように」と釘を刺されたのでできなかった、と言った人もいた。