旧優生保護法の下で「不妊手術を強制された」人々が、全国で次々に提訴に踏み切っている。12月26日には、聴覚に障害のある小林寶二さん(86)と喜美子さん(86)夫婦ともう一組の夫婦とが国に訴えた裁判が始まった。しかしこうした問題で表に現れるのは氷山の一角だろう。『出生前診断』にて2016年度の科学ジャーナリスト賞を受賞した出産ジャーナリストの河合蘭さんが、旧優生保護法の「呪い」とも言える影響の続く現状を綴る。

優生保護法は「新兵器」のようなものだった

私はこの訴訟に期待している。「やっと宿題に手をつけてくれた」と思う。

優生学が戦後約50年間も放置されてきたこの過ちは、生殖を個人の営みとして尊重することが苦手で、集団の都合を優先しがちな日本的態度をよく表している。しかし、犠牲になった障害者の方たちを慰めずして、日本が、出産を個人の幸せの問題と考える国に変わっていくことはできない。

私は、この過ちを謝罪することは決して障害がある人の問題にとどまらず、ごく一般の人たちの「リプロダクティブヘルス・ライツ(産む・産まないなどの自由)」にもかかわり、少子化対策にさえ通じると考えている。

私が旧優生保護法の問題を調べたのは、新型出生前診断が登場した2015年に『出生前診断』という本を刊行した時だが、はじめのうちは信じられないことばかりで、ただ驚いた。この法律が根拠とした「優生学」は、弱肉強食の時代を背景に未熟な遺伝学、統計学が暴走してできた科学のひとつだった。

法の下で優生学を実践してきた国で有名なのはアメリカ、ドイツ、そして北欧。軍国主義とも強く結びついていて、他国が優生政策を次々に実行しているとなれば、「それをしない国は、新兵器を持っていないような不安にかられる」という面もあった。

優生学者たちは、優生政策を実行すれば、畜産における品種改良のように人類はどんどん優れた生物へ進化し、科学の力でユートピアを作ることができると本気で考えた。そこで、はじめは天才を増やす方法を探していたが、それが困難とわかると「劣った者」の排除に情熱を傾けるようになる。

結核患者も子どもを産むなと言われた時代

犠牲になった人たちとしては精神疾患や知的障害、遺伝性疾患、ハンセン病などが有名だが、先日はろうあ者にも多数の被害者が出ていることが報じられ、改めて優生政策の恐ろしさを感じさせた。気鋭の写真家でろう者の齋藤陽道氏が、やはり聞こえない妻との間にできた子の子育てを素晴らしい写真と文章でつづった『異なり記念日』(医学書院)が出版された矢先のニュースだった。

 
聞こえる家族に生まれた齋藤さんは生まれたときから耳が聞こえない。家族全員耳が聞こえない妻と齋藤さんの間に生まれた女の子は、耳の聞こえる子どもだった。家族の優しい暮らしぶりを読むと、優生政策の非人間性を改めて感じる。

実は、日本で初めて優生政策を進めようとした法案は昭和9年帝国議会第65議会に提出された「民族優生保護法案」である。その法案原文では何と、当時、日本人の死亡原因の首位を占めていた「結核病」も断種の対象とされている。

結核は遺伝性疾患でなく後天的な感染で起きることが良く知られていたにも関わらず「かかりやすい体質がある」「子どもに感染する」といった理由をつけて子どもを産むべきではない疾患のリストに入れられていた。

結核患者を対象にした優生政策は海外にも前例があり、他にも、STD(性感染症)やアルコール依存症なども、後天性の病気であるにも関わらず、り患した者は国家のために産むべきではないとされたことがある。