いわゆる「パワースポット」がブームになってから、もうすでに10年以上が経過する。
古くから信仰の対象となって来た土地、宗教施設がある場には「パワー」がみなぎり、そこを訪ねると「力」が得られるという、現世利益的、通俗的、「迷信」的な解釈が多くの人々に共有されてきたのだ。
ブームは一過性のものではなく、平成が終わろうとしている現在も、くメディアに流通している。「パワースポット」は、現代日本人の宗教に対する浅薄な意識の象徴であり、理由なき“名所”をもてはやすのはそろそろ止めた方がよいのではないか。
そこで、このブームの起源を探るとともに、歴史的・民俗的に、こうした“スポット”への関心を批判的に検証してみたい。
「パワースポット」という言葉じたいは1980年代からすでに存在したが、多くのメディアが取り上げるようになったのは90年代からである。
UFO、未確認生物、超能力、超古代文明など扱う月刊誌『ムー』は、1993年8月号の特別付録に「日本列島パワースポットガイド」を付けている。
同年2月には美術家の横尾忠則が『ARTのパワースポット』を刊行。現代美術の領域では、「パワースポット」という概念はすでに通用していたのだろう。
これらを遡る91年11月には“超能力者”として知られた清田益章が『発見!パワースポット』という本を刊行していた。“エスパー清田”はパワースポットの生みの親のひとりなのである。
2000年代に入ると、スピリチュアリストの江原啓之や“風水”による開運を流行らせたDr.コパらがメディアの寵児となり、それぞれの立場からパワースポットのご利益を喧伝した(ただし江原はのちに、神仏への畏敬の念を持たないパワースポット巡りを批判している)。
そして2010年頃には一般紙やテレビのニュースでも、「パワースポット」という言葉がためらいもなく使用されるようになってしまったのである。