150年近く存続…長続きする会社は、これまで何を考えてきたのか?

「たねや」社長が明かす「三方よし」の発想
山本 昌仁 プロフィール

八幡堀を守った市民

いくら甲子園の三倍あるといっても、ラコリーナの面積は知れています。そこで「これからの生き方」を表現しても限界がある。それを近江八幡全体に、いずれは滋賀県全体に広げていきたい。だからラコリーナを飛び出して八幡山の整備をやり、オーガニックをやり、森里海連環学をやっているわけです。

もちろん、私たちだけでは限界があります。市民の方々にも加わっていただかないと、広がりは生まれない。「そんなこと可能なのか?」と思われるかもしれませんが、実は近江八幡には先例があります。八幡堀の再生運動です。

八幡堀は近江八幡という町のシンボルです。数多くのテレビ時代劇や映画で撮影場所に使われていますから、近江八幡をご存じない方でも、八幡堀はご覧になったことがあるはずです。

近江八幡の観光名所として再生した八幡堀

近江八幡の町を作った豊臣秀次は、琵琶湖につながる八幡堀を掘り、湖上を往来する商船に寄港するよう命じました。八幡堀と楽市楽座のセットが、近江八幡の繁栄の礎となったわけです。

江戸時代も物流路として八幡堀は使われましたが、近代になると鉄道の時代がやってきます。戦後の高度経済成長期には自動車の時代になって、トラックで荷物を運ぶようになる。こうなると堀は無用の長物です。

しかも、区画整理で拡大した農地や工場から排水が流れ込みます。市民の生活排水も流れ込み、ゴミも捨てられ、1960年代にはドブ川のようになってしまいました。ヘドロが1.8mも堆積していたそうです。

悪臭がただよい、蚊や蠅の発生源になります。衛生的にも良くないということで、市議会で埋立計画が通りました。

しかし、「町の歴史がつまった堀を埋めれば、その瞬間から後悔が始まる」と、近江八幡青年会議所が立ち上がります。そのなかには、若き日の父の姿もありました。青年会議所の役員をやっていたのです。

最初は行政から相手にされない。埋立事業はスタートしてしまっているのですから、当然です。市民も一日も早い埋め立てを望んでいるので、孤立無援です。

ところが、毎週日曜、青年会議所のメンバーが堀に入って清掃活動を続けていると、周囲の態度も変わっていきます。最初はヤジを飛ばす人や、わざと目の前でゴミを投げ入れる人がいたといいます。

しかし、パンや牛乳を差し入れてくれる市民や、自分自身も清掃に加わる市民が現れた。ユンボやダンプを貸してくれる建設業者もいました。行政のなかからも「一市民として」清掃活動に参加する人が出てきます。

そして3年後の1975年、滋賀県は埋立工事の中止を決め、予算を国に返上したのでした。

水郷を埋め立てる計画も存在しましたが、そちらもお蔵入りに。八幡堀も水郷めぐりも、いまや近江八幡観光の柱になっています。

最初は青年会議所の一部のメンバーだけでした。それが周囲を巻き込み、最後には議会も動かした。自分たちの力で町のあり方を考えた記憶が、この町にはあるのです。

このときの経験で、「古いものを残すべきだ」という意識は完全に根づきました。1991年、日牟禮八幡宮周辺の旧市街地の一部が、国の伝統的建造物群保存地区に選定されていますが、滋賀県初です。

まちづくりは株式会社で

そうした伝統を残していく意味もあって、2013年に「まちづくり会社まっせ」を設立しました。

マッセマッセ、チョウヤレチョウヤレが、織田信長ゆかりのお祭り「左義長まつり」で山車を引き回すときの掛け声。マッセは「回せ」という意味で、近江八幡と安土の祭りに共通する言葉なのです。2010年に旧安土町が近江八幡市に統合されたこともあり、近江八幡・安土を合わせた地域の架け橋として、この言葉を会社名にしました。

この会社では松明祭りの保存継承をやっています。八幡まつりとは別に、秋にラコリーナで地域の方々に各集落の松明を作って設置してもらい、お客様にご覧いただくイベントを開催しています。

ほかにも放置されている古民家の再利用を目指し、町家バンクを始めました。空き家を登録していただき、改修し、借り手を見つける。ようやく近江八幡にも古民家を利用したカフェやレストランが登場しつつあります。

鉄道の駅はかなり離れた場所にできたため、旧市街地がさびれていった話は何度かしました。でも、そのおかげで、旧市街地の古い町並みが取り壊されずに残っています。いまやそれが大きな観光資源になるのです。

あとはどう再生するかを考えるだけ。普通は古い町が完全に壊されて新しい町に作り替えられていきますから、その点、近江八幡はラッキーだったわけです。

地域のみなさんに、まっせの株主になっていただき、運営はたねやの社員を一人、派遣しています。まだ赤字なので、収益の上がる事業もやらないといけない。ガイド付きのサイクリングツアーを企画しているところです。

この事業を始めるときには「NPO(非営利団体)でやるべきだ」という声もあったのです。たしかに他の町ではそういう形でやっておられるところが多い。でも、私たちは行政の下請けにはなりたくない。むしろ市民から提言する形で行政を巻き込んでいきたい。八幡堀が私たちのモデルケースなのです。

滋賀県は全国でも珍しく、人口の増え続けてきた県です(京阪神や名古屋のベッドタウンとして発展してきたからです)。しかし、この数年、人口流入が頭打ちになってしまった。人口が減り始めるのも目前です。

そんな時期だからこそ、誰もが遊びにきたくなる町、移り住みたくなる町を作り上げることは、喫緊の課題です。