150年近く存続…長続きする会社は、これまで何を考えてきたのか?

「たねや」社長が明かす「三方よし」の発想
山本 昌仁 プロフィール

自分一代だけではあかん

よく近江商人の哲学として、「三方よし=売り手よし、買い手よし、世間よし」と言われますが、「三方よし」は商いをしていれば当たり前の話なので、それ自体を云々しても始まらない。大切なのは、それを実行できるかどうかのほうだ――。これが私の考え方です。

近江商人の精神をいかに現代に生かすか、ということのほうに意識が向かいます。歴史を学ぶ意味は大きいのですが、学んで終わりでは意味がない。いま近江商人というキーワードを持ち出すのであれば、「その精神をどう生きるか」が問われないといけない。

近江商人は50歳ぐらいになれば半隠居して、故郷に戻って悠々自適な生活を送るのを理想としていました。近江八幡には、そうした豪商たちの住宅が残っています(西川利右衛門や伴庄右衛門の邸宅は公開されています)。

ところが、近江八幡にも五個荘にも日野にも、いわゆる老舗の料亭がまったく存在しません。資産はできても、生活は質素倹約だったことがわかります。

では、彼らはどこにお金を使ったのか? 地域のためです。橋をかけた人もいれば、山に木を植えた人もいれば、道を整備した人もいる。学校を作ったり、町に常夜灯を立てた人もいます。

有名なところだと、日野商人の中井正治右衛門。彼は3000両もの私財を投じて瀬田唐橋のかけかえをやりました。工事自体は1000両で済むのです。残りの2000両は何かというと、それを利殖することで将来のかけかえの原資にした。永遠に瀬田唐橋を残そうとするなんて、どこまで長期的な目線で見ているのかと驚きます。

五個荘商人の塚本定右衛門定次は治水・治山に力を尽くしました。乱伐のせいで琵琶湖周辺にははげ山が多く、豪雨のときに洪水を起こす原因になっていた。そこで、各地の山に木を植えたのです。滋賀県だけでなく、山梨県の植林にも協力しています。

木が育つには時間がかかります。森が育った姿を見られないことについて、塚本定右衛門は「たとえ自分が一生のうちに見ることができないといっても、その辺は少しもかまいません。私はいまから50年先の仕事をしておくつもりです」と語っています。これを聞いた勝海舟は「かような人が今日の世に幾人あろうか」と激賞しています。

滋賀県には神社仏閣がものすごく多い。10万人当たりの寺院数でいうと、堂々の全国1位です。古くからの神社仏閣がこれだけ残っているのも、近江商人の寄進が小さくない影響を与えているはずです。

私たちが「ラ コリーナ近江八幡」に木を植え、近江八幡の原風景を取り戻そうとしているのも、同じことです。滋賀県の外に出ている人が帰省されたとき、「不思議な建物もあるけど、なんか懐かしいなあ。ほっこりするなあ」と感じていただける風景を目指している。

ラ コリーナ近江八幡

だからラコリーナに限ってはモミの木のクリスマスツリーを置きません。地元に昔からある木々だけが見えるようにしたい。

いまこうやって必死にドングリを植えても、森が育つには時間がかかります。明治神宮のような深い森になったところを、私が見ることはないでしょう。でも、私がやるべきことなのです。

小さい頃からずっと父に言われ続けてきたのは「自分一代でええと思ったらあかん」。次の世代のことも、その次の世代のことも考えて行動しろと。こういう視点の長さこそ、先人たちから受け継いできた近江商人の知恵だと思います。

近江の野菜はオーガニック

地域に還元するということで言えば、たねやは京都大学と組んだ活動もおこなっています。森里海連環学教育研究ユニットの分校をラコリーナに置いているのです。

琵琶湖の汚染はずいぶん前から問題になっていますが、なかなかきれいにならない。そこで森を育て、里ではきれいな水を流す工夫をして、琵琶湖を浄化しようと。森と里と琵琶湖の関係を考える研究です。

1月2月になれば、琵琶湖の内湖である西の湖で、ヨシの刈り取りもやっています。ヨシは水を浄化する植物ですが、枯れたものを冬場に刈り取ってやるほうが、夏場によく育つ。かつては村が総出で刈ったのでしょうが、いまは放置されている。そこで、うちの社員や経済団体の経営者たちに声をかけて刈り取っているのです。

琵琶湖の内湖である西の湖でのヨシの刈り取り

里から琵琶湖に流れ込む水をきれいにするということのなかには、農薬の排除も含まれます。実はたねやは早くからオーガニック栽培に取り組んでいるのです。

1998年ですから、まだ私が常務だった時代です。父は永源寺(現・東近江市)に農園を作ってヨモギの無農薬栽培に取り組みました。それまでは中国産を使っていたのですが、現地でマスクをして大量の農薬をまいていると知り、取引をやめた。

愛知川の河川敷でとってきたヨモギの根を農園に植える。どこにでも育つ「雑草」だというのに、いざ育てようとすると発芽率は50%にもなりません。しかも、菓子に使えるものとなると、さらに条件は厳しくなります。

除草剤を使いませんから、夏場の雑草とりは地獄です。殺虫剤を使わないのでアブラムシの被害が出て、江戸時代の文献から安全な駆除方法を見つけたりもしました。それでも最終的に無農薬栽培は成功し、たねやで使うすべてのヨモギを確保することになりました。年間7トンもの量です。

まだ世の中では「食の安全・安心」を騒いでいない時代ですから、かなり早かったと思います。「勝手に無農薬栽培をやられたら、虫がわいてうちの田畑に飛んでくるやないか!」と、地元からは反対されました。町長からも呼び出しがあったくらいです。でも、住民説明会を開いて、根気強く説得した。

現在、ラコリーナで育てている米や野菜は完全にオーガニックです。まだ小規模な実験農場レベルですが、そこに未来への可能性を見出しているのです。環境への負荷の問題もありますが、「近江の野菜はオーガニック」というイメージが根づけば、農家の方たちの利益にもなるからです。

滋賀県知事の三日月大造さんは同世代なので、年に何回か経営者仲間と会合をもっています。そこでもずっと「滋賀県をブランド化するカギはオーガニックにある」と言い続けてきました。

するとタイミングよく滋賀県が男性の平均寿命で日本一(女性は4位)になり、さらなるテコ入れをはかろうと知事の施政方針にオーガニックが入ってきました。流れが変わりつつあるのを感じています。