速報も広告もやらない「新メディア」のジャーナリズム哲学を読み解く

ニュースの「信頼」を取り戻すために
奥村 信幸 プロフィール

「客観性」という欺瞞と向き合う

では、そのような理想のニュースの題材を、どのようにして選ぶのか。

ワインバーグは、これまでジャーナリストたちが尊重してきた価値観や「フィルター」そのものを根本的に問い直すべきだと主張する。「公正さ」や「偏らない議論」といった、ジャーナリズムの「常套句」が無意識のうちに依拠している「客観的であること」についての再定義が必要だと。

ジャーナリズムが情報の伝達ではなく、権力を監視するという社会的な使命を帯びているとすれば、事実を正確に伝えるために「客観的であること」は必須の条件である――それが現在、誰もが疑わない理解だ。しかし注意深く見てみると、ここ数十年の間に、その意味が微妙に歪んでしまったというのだ。 

それは政治報道で多用される「党派性を帯びない(non-partisan)」と言われる伝え方の技術のせいだという。

【ジャーナリストたちは、独立や信頼性、真実を語る能力とは、ニュースを伝える際に自らの政治的な立ち位置を設けないことだと勘違いするようになってしまった】

「事実のみを伝える」とか「事実と意見を分けて報道する」ことなど、どだい不可能だ――というのが、ワインバーグの見解だ。「すべての事実は、人間が解釈して伝えるものだから」である。

たとえ特集記事ではなくストレートニュースであっても、「存在論的に(何が事実と言えるのか)、認識論的に(何が真実か)、方法論的(どうやってそれを発見するのか)にも、さらには倫理的(どうしてこの問題を伝えるのか)にも、ニュースはあらゆる側面で、ジャーナリストの世界観に依拠せざるを得ない」。つまり「立ち位置がない」、言い換えれば「偏りがない」報道など原理的に不可能なのである。

 

一方で、「立ち位置がない報道」「偏りのない報道」とは結局、権力者たちの判断に寄り添い、その代弁者に成り下がってしまうことである、ともワインバーグは喝破する。

現在のアメリカのニュースはトランプ一色になっている。メディアは大統領の最新ツイート、スピーチ、記者会見をひたすら追いかけて報じ続けるが、「何も新しい事実は伝えられず、根本的な知識は伝達されない。しかしみんなそれがニュースだと思い込んでいる…それがニュースとして伝えられているからだ」。

まず「記者の主観」を前提にする

いまや、理想とは正反対のものになってしまった「客観性」を、ワインバーグは「ジャーナリストが人間、市民として目指す倫理的な目標」として、一種の「限定的な努力目標」として認識し直そうと呼びかける。

その上で「透明性のある主観(Transparent Subjectivity)」という言葉を用いて、記者が自らの政治的な立ち位置を率直に説明してから、それを前提にニュースを発信するという方針を明らかにしている。

コレスポンデントはウェブサイトで「10項目の創立理念」を列挙しているが、その6番目には、このことが以下のように説明されている。

【私たちはジャーナリストが「中立的」とか「バイアスがない」などと装うべきではないと思う。反対にコレスポンデントの記者は、正直に自分たちがどのような立場でそれを伝えるのかを明らかにする。それは、自分たちのものの見方を透明性を持って伝えるほうが、そのような見方は存在しないと言い張るより良いことだ、という信念に基づく。

私たちは誰の手先でもない。特定の党派の代弁者でもない。私たちは事実を重視する
が、それが意味を持って伝えられるには「解釈すること」が不可欠だということも良く知っている。だから、私たちは自分たちの報道に何らかの情報をもたらす世界観や道徳的な信念に対し偏見を持たずに、事実がそうであれば柔軟に見方を変化させていく】

この誓いを単なる「お題目」にしないために、コレスポンデントはすべての記者に自分の「ミッション・ステートメント(職務上の使命)」を記すことを要求する。

すべての記者は、コレスポンデントというプラットフォームでニュースを発信することを通して、ジャーナリストとして何を成し遂げたいのかを表明しなければならない。しかし、ステートメントに「ニュースを伝える」と書くことは許されない。ニュースを伝えることは「使命」ではない。そのニュースで何を取り上げ、どんなメッセージを込めようとするのかを記さなければならない。

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従来の報道機関のような、記者の担当分けもしないようだ。今回筆者が参照したいくつかの文章の中には、これまでコレスポンデントがオランダで行ってきた報道の事例も登場するが、それぞれのコレスポンデント(記者)は、「プライバシー担当」「モビリティ(人や物の移動に関する)担当」など、耳慣れない分類になっている。

「忘れられた戦い担当」は、地球上で命や生活の危機に陥っている人たちの声を伝えようとしているし、「人間以外の動物(non-human)担当」や「政府の債務担当」など、記者の関心分野や問題意識によって担当が決められるようだ。

筆者もかつてテレビ局の報道局に所属していたが、社会部や外信部といった領域別、あるいは省庁や役所ごとの担当の分け方だと、どうしてもグローバルな問題への関心が希薄になる。そうした問題を扱おうとすると、取材先やステークホルダーが複数の機関や省庁にまたがってしまい、誰も調整役を買って出る余力がないからである。

かくして、難民や地雷や気候変動といった問題は、国際機関の会議など「イベント」という「フック」がないと、なかなかニュースとして伝えられなかった。

ファウスはMediumの記事において、コレスポンデントの「エネルギーと気候変動」担当記者が、この問題を読者や外国のジャーナリストと協力して取材していく過程で、世界的な石油会社であるシェルが、1991年以来実に四半世紀以上も、温暖化など気候変動の危険性を知りながら放置してきたことを示す内部文書を発見し、その内容を明らかにした報道のプロセスを詳しく描写している。