ママ:自分のことを認められて嬉しくない人はいないと思うの。そして、自分のことを認めてくれる人のことを人は好きになると思うの。牧村さんはどう?
牧村:そうですよね。私も認められれば嬉しいし、認めてくれる人には好意を持ちますよ。
ママ:そうでしょ。だから、認めるという行為は、相手との良い感情関係を形成するうえで、大切な行為であることは間違いないの。でもね……。
そう言って、ママは三人に問いかけるように話の続きをした。
ママ:じゃあ、そのためには何でも褒めればいいの? 例えば、自分がたいして頑張ってやったわけでもないことや、努力をしてもいないことを褒められたりして嬉しい?
牧村:いや、私は嬉しくないですね。
高野:僕だとそうされると、何かこの上司、裏でもあるのかと逆に疑ってしまいますね。
佐藤:俺も疑問だな。そこじゃないよってところを褒められても、逆に馬鹿にされている感じがしない? 見てないなあ、この人って思えるし。下手したら、この人のことを舐めてかかるようになるんじゃないかな。
ママ:そうなのよ。そこなのよ。認めることはとても大切。だけどなんでもかんでも褒めればいいわけではない。頑張っているところ、努力したところ、その人の本当にいいところ、相手のためを思って頑張ったこと、そういったところをちゃんと見てあげて、見つけ出してあげて、それを知ったうえで、認めてあげることが一番大切なのよ。
佐藤:そうか。俺も何となく、最近の褒めればいいみたいな風潮に疑問を感じていたんだ。
高野:一番大切なことは、褒めるという行為そのものよりも、「何を」褒めるかということですね。そして、正しくその「何を」をつかむためには、相手をよく見て、よく「知る」ということが欠かせないということですね。
ママ:そうね。その「何を」というとき、しつこいようだけれど私は結果や成果だけでなく、それ以外の、その人のいい所やいい事にもっと上司は着目すべきだと思うの。つまり、プロセスみたいなところもかな。
高野:どうしてママはそう考えているんですか?
ママ:人はね、認められたことを記憶し、認められたことを再現しよう、守ろうとするところがあると思うの。そうすると結果だけが褒められる条件になると、とにかく結果を出すことだけに人は固執するようになると思うの。それはもちろん決して悪いことばかりではないけれど、二つのリスクをはらむ可能性も高まるんじゃないかと考えるわけ。