岐阜・山梨の米軍基地は、なぜ撤退して沖縄に集められたのか

やはり「沖縄」だけの問題ではない
安田 浩一 プロフィール

米海兵隊は「本土」から「沖縄」へ

その結果──米海兵隊は岐阜から立ち退いた。58年のことである。

運動の勝利だった。岐阜における市民運動、労働運動の輝かしき成果として、それはいまでも地域史に刻印されている。

そして——岐阜を追い出された海兵隊は、沖縄に移ったのだ。

沖縄に移駐した海兵隊に対して、もちろん沖縄でも激しく住民が抵抗した。だが、基地は少しも動かない。

押しやられた沖縄がどれほど激しく抵抗しても、海兵隊は居座ったままなのである。

前出の岩井さんは、各務原から立ち退いた海兵隊が沖縄に移ったことを、今世紀に入ってから知った。

沖縄は50年前の各務原と同じ状況がいまでも続いている。他人事とは思えません。私たちの町では住民が基地を追い出すことができましたが、沖縄は岐阜以上の規模で反対運動が続けられながら、まったく動かない。こんなことがあってよいのでしょうか

岩井さんはそうした思いで、いま、地元で沖縄の基地問題についての学習会などを開いている。

 

著しい不公平と理不尽

岐阜と沖縄。その違いは何なのか。

「占領下」という沖縄の特殊な状況があったことは云うまでもないが、「本土」の側もまた、「沖縄であればかまわない」といった考え方に支配されていたはずである。

13年11月、「キャンプ岐阜」の跡地にできた航空自衛隊岐阜基地で行われた「航空祭」。そこに、米軍普天間基地(沖縄県)に配備されたオスプレイの展示が防衛省によって計画された。しかし、各務原市など周辺自治体や住民は「危険性」を理由に反発。結果としてオスプレイ展示は中止となった。

その結論じたいを批判するつもりはない。ならば、その「危険」なオスプレイが日常的に飛び回っている沖縄の現実を、どう考えているのだろうか。

それは同じく米海兵隊基地を抱えていた山梨県も同様だ。

米軍は終戦直後、富士山の北側すそ野一帯に「キャンプ・マックネア」と名付けた海兵隊基地をつくった。

地元紙が報じたところによれば、当時、「米兵が県農業会の職員2人を撲殺」、「北富士演習場の不発弾が爆発し少年3人が死亡」、「女性が米軍車両に追いかけられ、はねられて死亡」といった事件が相次いでいる。

ここでも結局、地元挙げての反対運動が実を結び、56年に基地は沖縄に移った。

こうした経緯に「著しい不公平と理不尽」を訴える沖縄県民は少なくない。