19世紀中頃にペリーが浦賀に来航した直後から、欧米では日本の文化、とりわけ美術品・工芸品を受容、愛好する熱がにわかに高まり、その後、約半世紀の間、大都市の多くの市民が日本の品々で生活空間を飾り、また少なからぬ芸術家がそれらから影響を受けて作品を生んだ。
西洋におけるこの時期のそうした受容、愛好、影響をジャポニスムと呼ぶ。
ジャポニスムとは、近代の西洋が見た「日本」のことだった。
西洋人がはじめてこの国に到達したのは16世紀半ばで、それ以後、17世紀初めまでかなり活発な交流があった。しかし江戸時代に鎖国が始まり、窓口が長崎の出島に限られ、オランダ人のみがそこに許容されるようになると、西洋ではおのずと情報不足のため「日本」はきわめて曖昧な存在になった。
一方でその中でも蒔絵の漆器、伊万里の磁器などは意外なくらい多く輸入され、珍重された。
こうした事情のため「日本」は長いこと、美しい一端だけを覗かせた神秘の国、夢の国だった。
そして開国。多くの夢は目を開けたとたん幻滅に変じるものだが、「日本」は例外だった。
開国後初期の来日者たちはいずれも、当時、世界でもっとも文化水準の高い「非西洋」をそこに見出したのだった。国民は勤勉で礼儀正しく、また好奇心に満ちており、その産物の種類と質はそれまで知られていた以上のものだった。
この時期に堰を切ったように流入した日本の情報、そして美術工芸品(美術品と工芸品)のインパクトが、それ以後20世紀初頭まで続くジャポニスムの最大の要因だった。
さて、かりに現代の美術愛好家にジャポニスムについて知っていることを尋ねると、「フランスの印象派などが浮世絵から受けた影響のこと」というような答が返ってくるだろう。そしてあのモネの描いた着物姿の妻の肖像、《ラ・ジャポネーズ》をその典型的な例として挙げるかもしれない。
そう、多くの人が知っているこの絵は、ジャポニスムの看板のようなものである(「看板」呼ばわりは少し申し訳ないが、この絵には、たしかに人の記憶に残るイメージの強さがある)。
20世紀後半にジャポニスム研究は、マネ、ドガ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、ロートレックといった、今日よく知られる芸術家たちの研究の一環として急速に進んだ。しかし本書で私は、それらの研究と異なる二つの観点でジャポニスムをとらえてみたい。