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弟子が明かす「なぜ渥美清は生涯『寅さん』を演じ続けたのか」

今だから語れる名優たちの孤独と葛藤

頂点を極めた人、若くして病気に倒れた人、強い個性ゆえに周囲と相容れなかった人……。みんな、それぞれの孤独を抱えていた。今週の週刊現代では、昭和のスターたちを一番近くで見ていた人々が、いまだからこそ語れる胸の内を明かしている。

 

寅さんはファンのために

『男はつらいよ』シリーズで車寅次郎役を演じ、国民的スターとなった渥美清('96年・68歳没)は、「寅さん」のイメージを守るために、芝居仲間にもプライベートを明かさず、弟子すら取りたがらなかった。

だが、舞台俳優の石井愃一氏(72歳)は、熱意が通じて付き人となり、4年間を渥美の下で過ごした。その素顔を間近で見た数少ない一人だ。

『男はつらいよ』シリーズが本数を重ねた頃、石井氏はずっと気になっていたことを渥美に尋ねたという。

「毎年寅さんをやっておられますが、他の役はやりたくないんですか?」

当時、毎年同じような構成で公開される同作に、マンネリという声も囁かれはじめていた。

不躾ともとれる石井氏のこの問いに、渥美は嚙んで含めるように答えた。

「寅さんのファンは、浅草や地方に行くとまだまだたくさんいるんだ。それになあ、この映画を作るのに、大勢のスタッフがいて、みんなに家族がいる。俺が簡単に『やめる』とは言えないだろう。

あとな、役者には『好きなもの』と、『向いているもの』がある。俺は浅草の劇場出身だから、本当は、いまお前がやっているような舞台の芝居が大好きなんだ。でも、俺は肺が片方しかない。だから、一番向いているのは映画なんだよ」

若かった石井氏には、渥美の言っていることがよく飲み込めなかった。

「当時の私は、舞台での『下積み』を終えて、はやくテレビに出たい、映画に出たいとばかり思っていました。

でも、自分もこういう年齢になってみると、台本をもらって数日で本番というものより、1ヵ月近くじっくり稽古をして役柄を身体に染み込ませる舞台のほうがしっくりくる。

きっと、渥美さんも舞台の芝居にしかない魅力を痛いほど感じていた。それでも、自分の身体の状態を考えたら、体調に合わせてスケジュールを組んでくれる映画のほうが『向いている』と、生涯『寅さん』を貫いた。

それは、ファンに対しても少しでも長く元気な姿を見せるためでもあった。この歳になって、あの時の渥美さんの気持ちがよくわかります」

あの時間が人生の青春

ファンのため自分のため、役者として長く生きる道を選んだ渥美とは対照的に、太く、短く生きた役者といえば、松田優作('89年・40歳没)の名前が浮かんでくる。

「彼は、夜中でもなんでもお構いなしに人を呼び出す。飛んでいくと、演技論、映画論をぶち始めて一晩も二晩も話が終わらない。『いますぐこいつを刺し殺してやろうか』と思ったことは一度や二度ではなかった(笑)」

松田との日々をこう回想するのは、脚本家の丸山昇一氏(70歳)だ。脚本家デビューを果たしたドラマ『探偵物語』を皮切りに、映画『処刑遊戯』など、多くの作品で松田とコンビを組んだ。

夜な夜な膝を突き合わせて芝居について語るなかで、松田に投げかけられた言葉がある。

「さすがに疲れ切った僕が、『1時間だけ休ませてくれないか』と頼んだんです。すると、優作さんはこちらをじっと見据えて『丸山、オレたちやっとなんとかなりそうなんだよ。寝てるヒマなんか、ないだろう』と。

僕は他の人とも仕事をするから息を抜くこともできる。でも、優作さんは四六時中誰とでもそうやって向き合っていた。長生きできるわけがないんです」

松田が膀胱がんでこの世を去ってから、もうすぐ30年。だが、丸山氏の頭には、折に触れて松田の乾いた声が響く。

「普通、人間はどこかで妥協をおぼえて大人になっていく。でも優作さんはそれをよしとはしなかった。だから、たくさん傷つき、時には人のことも傷つけました。あれが正しい生き方だったと言うつもりはありません。

でも、結局、優作さん以上に『本気』で生きている人に会うことは、ついぞなかった。優作さんと過ごした時間は間違いなく人生の青春でした」