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親を看取るときに「必要なこと」「やめるべきこと」

平穏な最期を望むなら、こうしよう

親の介護の終わりに必ず待ち受けているのは「永遠の別れ」です。死は避けることができませんが、だからこそ苦しませず、穏やかに逝かせてあげたいのが人情。最後の親孝行ともいえる「大往生」を遂げさせてあげるために、家族は何をすればいいのでしょう。そして、何がそれを邪魔するのでしょうか。近著『あなたが介護で後悔する35のこと そして、後悔しないための8つの心得』から必見のエピソードを紹介します。

(記事中の写真は、いずれもイメージです)

死期が迫った夫とその家族の前で、医師が言ったこと

「お父さんが帰ってきはったんやから、みんなで楽しみなさいね」

医師にこう言われ、Tさん(関西在住、女性)はすっかり混乱していた。

彼女はその日、つい数時間前に、病み衰えた夫を介護施設から自宅へと連れ戻したばかりだった。目の前には、だれがどう見ても死を前にした夫がいる。帰宅する以前に、施設側からも、「もう終末期に入られましたね」と告げられた。付き添いを手伝ってくれた娘は、まだショックで落ちこんでいる。

〈こういう状況で「楽しむ」って……どういうこと?〉

わけがわからなかった。

Tさんの夫は65歳のときにアルツハイマー型認知症を発症した。Tさんは「残りの人生、この人の病気とつきあおう」と腹を決め、最初は自宅で介護にあたる。だが、思いだけでは限界があった。認知症の症状のため、夫は歩き回ったり、以前に比べて怒りっぽくなった。夜中でも構わず家から出ていこうとし、止めようとすると、物を蹴飛ばしたり投げつけたりさえするようになった。

在宅介護に限界が見え始めた頃、Tさんはある介護職員のすすめで夫を精神科病院に入院させた。だが、深く後悔することになる。

「そこは身体拘束が多くて、患者は外出さえ許されない場所でした。家族の面会にも、病棟に入るにはその都度、鍵が必要なほど。でも私自身は肉体的にもう限界でした。『夫を入院させてしまった』という自責の念と、『もう入院させるしかなかったんだ』という思いが交錯して苦しかったです」

何とか夫にいい環境を用意してあげたいと思ったTさん。病院などを転々とし、最後にようやく、夫を特別養護老人ホーム(特養)に入所させることができた。何度も電話し、見学もして選びに選び抜いた施設だ。この特養で夫はしばらく穏やかな生活を送ることができた。

だが、老いを止めることはできない。

夫が73歳になった年の6月から、体調が悪化し始めた。

「食欲はあっても微熱が続くようになり、3ヵ月で体重が5キロも減りました」

尿が出にくくなったので血液検査を受けたところ、前立腺がんの可能性が指摘された。だがTさんは、弱った夫に精密検査を受けさせる気持ちはもうなかったという。

暮れになっても、夫の体調は優れないままだった。例年なら正月は一時帰宅して自宅で過ごすのだが、その年は「パパの所でお正月をしよう」という娘たちの呼びかけで、家族が特養に集まって新年を迎えることとなった。Tさんや娘たちが、それぞれに手づくりのお節を持ち寄った。家族にそうした要望があれば、ちゃんと部屋を用意してくれる施設だった。

【写真】選び抜いた施設に入所できた
  選び抜いた施設に入所できた photo by gettyimages

施設で看取るか、自宅に連れ帰るか……葛藤の日々

年が明けて極寒の2月。夫はいよいよ弱り、食べ物すら飲み込めないほどになった。施設の医師の見立てでは、「今すぐどうこうはありません」とのことだったが、Tさんは夫の容態が気になって、毎日施設に通った。

とうとう「終末期に入られましたね」と告げられたのは、3月に入ってからのことである。施設長からは「看取りは、施設でもご自宅でもいいほうでなさってください」と言われた。

実はこの特養では、入所中は3ヵ月に1回、家族をまじえたカンファレンス(会議)があり、Tさんはそこで施設長に常々、「ゆくゆくは家で看取りをしたいんです」と話していた。それを受けての言葉だった。

しかしTさんには、「施設のほうがいいのではないか」という気持ちもあった。

「そのころの夫にとっての日常は、耳から入ってくる音も、感じる雰囲気も、すべて施設のものだったでしょう。だから、『もし看取りの時がきたら、毎日聞き慣れたざわざわとした人の声や、笑い声がする中で最期を迎えたほうがいいんじゃないかな』という迷いもありました」

この特養では、入所者が集まる食堂の隣に看取りのための部屋があり、年間20人ほどをお見送りしている実績があった。

迷いながら、およそ4週間。3月末の早朝のことである。施設から電話が入った。

「ちょっと元気がないです」

Tさんは娘と一緒にあわてて駆けつけた。部屋に入った途端、娘がワッと泣き出した。

「いつものパパの顔じゃない!」

Tさんも夫の顔を見た瞬間、「もう家に連れて帰ろう!」と心に決めた。

施設側に何も告げないまま、Tさんは着替えなど荷物の大半を、憑かれたようにカバンに詰め込み、「明朝までに準備を整えて夫を迎えに来よう」と自分に強く言い聞かせ、持ち帰った。

それからはもう1日中、夫を家に迎えることで頭がいっぱいだった。手始めに伝手をたどって、在宅介護の準備を整えた。

そして翌朝は早めに施設に向かい、相談員に夫を連れて帰りたいと申し出た。施設長は快く退所を受け入れ、帰宅用の車まで用意してくれた。夫を車イスに乗せ、特養のエントランスを出たのは、ちょうどお昼ごろ。大勢のスタッフに笑顔で見送られ、自宅に向かう。

「よくしてもらってきたのに、最後は無茶をしてしまったなあとつくづく思いました」

とTさん。気持ちよく退所させてもらえたが故の後悔だった。

帰宅すると、担当のケアマネジャー(介護の計画を立てる専門職)が、すでにプランを立てて自宅前に待機してくれていた。午後には訪問看護師、夜には在宅医も自宅を訪ねてくれた。「あと4~5日か、長くて1週間かなあ」と告知した医師が、帰りがけにTさんに言ったのが、冒頭のあの言葉だった。

「お父さんが帰ってきはったんやから、みんなで楽しみなさいね」

【写真】「みんなで楽しみなさいね」と医師は言った
  「帰ってきたんだから、みんなで楽しみなさいね」と医師は言った photo by gettyimages