「子殺し」「母性崩壊」…日本で児童虐待はどう捉えられてきたか

90年代に社会問題化、ではその前は?
広井 多鶴子 プロフィール

戦後、児童虐待は忘れられる

1933年制定の児童虐待防止法は、戦後、1947(昭和22)年に制定された児童福祉法にほぼそのまま引き継がれる。

子どもの酷使や人身売買、貰い子殺害事件は戦後も継続し、1948年には一説によると103 人の貰い子を殺害したとされる「寿産院事件」が発覚する。

しかしながら、戦後、児童虐待に対する関心は急速に薄れて行く。中学校の義務教育化(1947年)やその後の高校進学率の上昇によって、家庭と学校が長期にわたって子どもを保護することが当然の社会になっていくからだろう。

実際、『朝日新聞』のデータベース「聞蔵Ⅰ」「聞蔵Ⅱ」で、「児童虐待」をキーワードに戦後の記事を検索すると、1949年に4件ヒットした後、85年までヒットしない。

「国立国会図書館リサーチ」で「児童虐待」を検索しても同様である。

最初にヒットするのは1979年で、池田由子の『児童虐待の病理と臨床』、1件のみ。次が85年で、以後96年まで年間1〜5件。97年以降徐々に増え、2000年代に入ると急増する。以来、今日に至るまで、毎年40件前後ヒットする。

つまり、児童虐待は、戦後、忘れ去られるのである。そのため、一部の専門家を除けば、研究者も児童虐待は日本にはほとんど存在しないと考えていた。

たとえば、社会心理学者の我妻洋は、1985年の著書『家族の崩壊』(文芸春秋)で、アメリカと日本の家族を比較し、「日本の親がアメリカの親のような仕方で子どもを虐待・無視していないことだけは、事実であろう」と書いている。

児童福祉が専門の井垣章二も、1985年の論文で、わが国には「アメリカのような暴力是認の文化」は存在しないと述べ、日本の親は「子を打つ権力は有するもののそれを発動すること」は少ないと指摘している(『児童虐待の家族と社会』ミネルヴァ書房、1998年)。

アメリカでは1960年代から児童虐待が社会問題になったが、日本では90年代に入るまで、児童虐待は対岸の火事だと考えられていたのである。

 

「子殺し」が社会問題となった時代

しかし、最初に書いたように、1970年代までは今日からすればはるかに多くの子どもが殺されていた。

1973(昭和48)年には、コインロッカーに嬰児を遺棄する「コインロッカー・ベイビー事件」が46件にも上り、センセーショナルな問題として社会の注目を集めた。70年代は児童虐待ではなくて、「子殺し」が社会問題になった時代だった。

そうした「子殺し」の社会問題化を受けて、厚生省は1973年に「児童の虐待・遺棄・殺人事件に関する調査」を行う。

同調査は、全国の児童相談所が把握ないし措置した3歳未満のケースを対象としたものだが、注目されるのは、合計401件のうち虐待はわずか24件にすぎなかったということである。この当時、児童相談所は虐待をほとんど扱っていなかったのである。

その一方で、病院や路上などに子どもを置き去りにする遺棄(捨て子)は126件、心中65件、未遂を含む殺害および殺害遺棄は186件に上る。この調査から、70年代、殺される乳幼児がいかに多かったかがわかる。

厚生省「児童の虐待・遺棄・殺人事件に関する調査」1973年