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「子殺し」「母性崩壊」…日本で児童虐待はどう捉えられてきたか

90年代に社会問題化、ではその前は?

0歳児の殺害はいつから急減したか

児童虐待が大きな社会問題になるのは1990年代以降のことである。

以来、児童虐待は、「どの家庭でも起り得る」と言われ、一貫して「増加」「深刻化」していると考えられてきた。

しかしながら、実は子どもの殺人被害は1970年代後半以降大幅に減少している。

警察庁の「嬰児殺」(えいじさつ、0歳児の殺害)に関する戦後の統計を見ると、1970年代半ばまで、嬰児殺の認知件数は年間200件程度あった。それが70年代末以降急減し、2017年の認知件数は11人、被害児童9人。虐待による子どもの死亡は0歳児が多くを占めるが、今や0歳児の殺人件数は70年代の20分の1である。

厚生労働省「人口動態統計」も同様である。0歳児の他殺による死亡率は、70年代半ばまでは0歳児人口10万人比6〜10程度だったが、90年代半ばには3程度まで下がる。2004年からさらに減少し、2017年は10万人比で1である。

警察庁の「嬰児殺」の数値も、「人口動態統計」の数値も、親による殺害に限定されない。それでこれだけ減少している。そうである以上、現代は、子どもが親によっても、親以外の者によっても、最も殺されなくなった時代と言えるだろう。

にもかかわらず、児童虐待が「増加」「深刻化」していると考えられているのはなぜか。その大きな要因として、児童虐待に関する捉え方が大きく変わったことが挙げられる。

以下、どう変化してきたのか見ていこう。

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戦前、親以外による虐待が多かった

児童虐待は、新しい問題ではない。戦前から問題にされていた。

1900年ごろから、子どもへの暴力、酷使、遺棄、殺害などの種々の残虐な行為が「児童虐待」と称されるようになり、1909(明治42)年に、受刑者に反省を促す教誨師(きょうかいし)の原胤昭(たねあき)が、虐待された子どもの保護活動を開始することで、社会の関心を呼ぶ。

そして、1930年に東京の新宿と板橋で相次いで貰い子殺害事件が発覚したことを契機に、1933(昭和8)年に児童虐待防止法が制定される。どちらの事件も、養育料目当てで乳幼児を引き取り、何人もの子どもを殺害した事件である。

このように、戦前、問題になっていたのは、親による虐待だけではなかった。

 

当時は親が子どもをひとり立ちするまで育てるとは限らず、貰い子、里子、養子として人手に渡る乳幼児や、幼くして奉公に出されたり、女中や芸妓として働かされたりする子どもが少なくなかったからである。

したがって、子どもを虐待する「保護者」は親だけではなく、虐待の場も家の中に限らなかった。

実際、1930年に子どもに対する傷害遺棄等で検事局へ送られた保護者は、親権者・後見人が51人、奉公先や工場の雇い主などの保護責任者が77人と、親以外の方が多かった(児童擁護協会『児童を護る』児童擁護協会、1933年)。

それゆえ児童虐待防止法は、親や雇い主などの保護者に対して、子ども(14歳未満)に「不具畸形」の観覧、「乞食」「軽業、曲馬」「歌謡、遊芸」「芸妓、酌婦、女給」といった「特殊業務」をさせることを禁じ、戸外で物売りをさせることを制限した。

かくして、児童虐待防止法の制定により、保護者などによる子どもへの暴力や保護の怠慢、遺棄が児童虐待と見なされるとともに、家の内外で行なわれてきた子どもの酷使が禁じられることになった。