クリスマスがどう頑張っても「男女のイベント」になる歴史的理由

どうして「男女のイベント」なのか
堀井 憲一郎 プロフィール

「ダンスホール」という装置

クリスマスの日は洋風に過ごす。

西洋的に過ごすということが、大事なのだ。そういう祭りだからだ。

近代社会になってから、日本式だけでは世界に通用しないとおもい、適宜、西洋的なものを取り入れるようになっていったからだろう。「西洋祭り」には、12月のクリスマスが選ばれた。よくわからないが、そういうことのようである。

昭和に入り、クリスマスは休日となり、ジャズ文化と融合した。

クリスマスはをカフェーやダンスホールで過ごす、というスタイルが大流行した。

ダンスホールと言っても、男女で行って好きに踊る、というものではない。男女で行ってもいいのだが、ふつうは男性だけで行く。店には店の用意した女性ダンサーがいて、彼女たちと一緒に踊るのだ。

 

ただダンサーさんの数は限りがあるので、混んでる日だとなかなかまわってこない。

そういうものらしい。

吉原遊郭でも、遊女がひと晩に何人かの客を取り、それぞれ部屋に割り振ったまま、なかなか訪れない、ということがあったらしいが、それと同じである。それを「回しをとる」というのだが、ダンスホールでも似たようなことがあったらしい。ダンスホールで「回し」を取られるなんてのは、ちょっと笑ってしまう。

この時代から、クリスマスは「男と女」のものになっていたのだ。

吉原の祭りの「洋風版」?

洋風の女遊びの夜、ではあるが、男と女の夜であるのには違いない。

吉原遊郭には「紋日(もんび)」というのがあって、つまり遊郭イベントの日である。

吉原の遊郭〔PHOTO〕Gettyimages

雛祭りや、お花見、七夕などなど、日本古来のイベントの日にはまた吉原ならではのイベントがあり、馴染みの客は遊女のために出向かなければいけなかった。いけないということではないが、まあ、遊び人なら、そういう日に行っていつもより余計な金を払う、というのが求められていたのだ。求められたら行くしかない。

どうも昭和のダンスホール、カフェのクリスマスは、そういう「吉原の紋日の洋風版」という感じがする。

「クリスマスだから、ひとつ、洋風の女給のいる店にいって、わーっと騒ごうではないか」

若旦那と八五郎と熊五郎がそう言い合って、この日は吉原に行かずに銀座か新宿に出向いていったのだ。

男の遊興の日として、クリスマスは盛んになっていった。

「男女のクリスマス」を始めたのは、男性だったのだ。

やがて昭和十年代は戦争が始まり、クリスマスはいったん沈静化する。