クリスマスがどう頑張っても「男女のイベント」になる歴史的理由

どうして「男女のイベント」なのか
堀井 憲一郎 プロフィール

大正天皇の崩御というきっかけ

クリスマスというイベントは明治の昔から祝われていたが、一般庶民が派手に大きく騒ぐようになったのは、昭和に入ってからである。

大正天皇が崩御されたのは1926年の12月25日だった。

戦前の祝日には、天皇家の祭事が取り入れられていた。

先帝が崩御された日は、祭日となる。忌日として国民も休むのである。国民全体での法事のようなものだ。先帝を偲んで、毎年、休む。

1927年(昭和2年)より、12月25日は、休みとなった。

1947年(昭和22年)まで(占領軍によって日本の祝日が変えられるまで)12月25日は休みだった。毎年、クリスマスが休みであり、イブは休前日だった。

 

それによってクリスマスは異様な盛り上がりを見せる。

先帝崩御の日だから、大人しくしていたほうがいいとはおもうけど、そのへんはいまも昔も変わらない。今日は何で休みなのかよくわからないまま、休みは休みだからと、みんな騒ぎ出した。眉を顰める人たちもいたが、騒ぐ人たちは気にしない。

狂奔の昭和初期

昭和にはいって、クリスマスはそれまでと違う賑わいを見せた。

当時は「ジャズの時代」だった。

第一次世界大戦が1918年に終わり、戦場とならなかったアメリカの享楽文化が華開いていた。「ローリング・トゥエンティーズ」と呼ばれる狂瀾の20年代文化である。

ロスト・ジェネレーションと呼ばれる若者たちの文化でもあった。ロスト・ジェネレーションは“失われた世代”というカッコいいものではなく、「自堕落な世代」という揶揄の言葉でしかない。自堕落な文化が華開いていたのだ。

ジャズが流行り、それに合わせた激しい踊りが盛んになった。クラシックミュージックに乗った優雅な舞踏を愛する世代からは、顰蹙を買った。また映画がトーキーになり人気を博す。スターがどんどん生まれる。狂奔の時代だった。アメリカは好景気だった。日本もそれに追随するように景気が良かった。

第一次世界大戦に参戦しながら戦地にならなかったという点においては、日本も同じである。第二次大戦は、その生き残り二国の衝突でもあった。

〔PHOTO〕iStock

クリスマスはもともと輸入された都市の祭りである。

日本の土俗的存在と何のつながりもない祭りで、だから都市部で流行した。

「キリスト教は何だかよくわからない」という気分がもとになっている祭りである。何だかよくわかったら、たぶん、こういう騒ぎかたはできない。明治のころから始まったクリスマス騒ぎは、昭和に入って本格的に「バカ騒ぎ」になって、現代につながっている。

近代日本にはどうやら「西洋ふうのお祭りの日」というのが必ず存在していなければならないようである。それはずっとクリスマスが担ってきた。近年ではハロウィンも少し分担している。