「学校のクリスマスイベントで宗教色をなくすべき」論争は他人事か?

宗教色、日本ならどうする? 
雨宮 紫苑 プロフィール

しかし日本のこういった傾向は、クリスマスだけではない。神社にもお寺にもお参りに行き、結婚式ではクリスチャンでなくとも神に愛を誓う。疑問も違和感もなく、さまざまな宗教に触れる。

わたしにとっての『宗教』とは、ある程度身近で、ある程度距離があって、ある程度無関心なものだ。

日本にも、神道、仏教、キリスト教など、信仰をもつ人はたくさんいる。しかし多くの人にとって『宗教』が意味するところは、わたしと同じくらいの認識だと思う。

お台場のイルミネーション。日本全国で美しいクリスマスイルミネーションが見られる Photo by iStock

「どっちでもいいじゃん」と軽く言えない事情

さて、最初のドイツのニュースに話を戻そう。

こんな具合で、わたしには自覚的な信仰心というものはない。だからこのニュースを読んでも、「聖書をちょっと読むくらいいいじゃん」と思うし、一方で「問題になるくらいなら読まなくたっていいじゃん」とも思う。言ってしまえば、「どっちでもいい」。

 

しかし、そうはいかないのが『宗教』というものなのだろう。コメントを見る限り、クリスマスは「イエスが誕生したからこその日」であり、それを祝うのが「ドイツである」と思っている人が多いようだ。

わたしが思っている以上に、「イエス誕生」はクリスマスにおいて重要なポイントらしい。だからかんたんに「それを省いてもいい」とはならない。

一方、「ムスリムだからクリスマスマーケットには行かない」「クリスチャン以外にも配慮してメリー・クリスマスと言うべきではない」と言う人もいる。「行きたければ行けばいいし、ただの挨拶なんだから言えばいい」と思わない人もいるわけだ。だから、「付き合いでちょっとくらい聖書を読んだっていいじゃん」ともいえない。

もちろん、クリスチャンであっても、日本旅行中に仏教の修行体験をしたり、神社にお参りしたりする人だっている。ムスリムであっても、まわりに合わせて「メリー・クリスマス」と言う人もいるかもしれない。宗教にこだわらない人や寛容な人だってたくさんいる。

しかしそれと同時に、信仰心を大切にして生きている人がいるのもまた事実。宗教はその国の文化の根源にも関わるから、宗教的である=その国らしさ、その国の伝統、という側面も忘れてはいけない。

だから、この記事のように、「クリスマスはキリスト教の祝い事でありそれがドイツである」という主張はなんら不思議ではない。ただ、宗教の自由が認められている国で学校行事が特定の宗教に偏っていることが許されるかどうかは、むずかしい問題だ。それがたとえ、キリスト教に根ざした文化をもつドイツであっても。

初詣で神社に行き、バレンタインにチョコを贈り、お盆にお墓参りをし、ハロウィンで仮装し、クリスマスは恋人と過ごし、大晦日には除夜の鐘を聞く。日本はよくいえば宗教に寛容で、悪くいえば鈍感だ。わたし自身はそんな日本の宗教観は「平和的」でいいと思うが、だからこそ、信仰を大切にしている人の存在も知っておかないといけない。

ドイツに限らず多様化する日本社会でも、「信仰を大切にしている人」はごくふつうにいるし、今後増えていくかもしれない。時には日本でもドイツと同じように、こういったテーマの議論も必要になってくるだろう。