借金まみれとなって創刊した新雑誌「講談倶楽部」に訪れた危機

大衆は神である(32)
魚住 昭 プロフィール

金の工面と印刷所

さし当たっては金の工面である。『講談倶楽部』の創刊と同時に、それまで大日本図書だった『雄弁』の発行元が大日本雄弁会に切り替わることになっていた。そのため大日本図書が内務省に供託していた保証金1000円を清治が立て替えなければならない。

 

清治は保証金を貸してくれそうな心当たりを訪ねて回り、「ただ政府に一時的に差し出すだけで、雑誌が潰れれば取り戻せる金ですから」と説明したが、誰も応じてくれない。

もうひとつの問題は印刷所である。清治は最初、印刷所というものは、こちらから仕事を頼むといえば、どこでも大喜びで飛んでくると思っていた。ところが実際は、いつ潰れるかわからない新興出版社を蛇蝎(だかつ)のように嫌い、仕事を受けようとしなかった。うっかりかかわると、印刷代を踏み倒され、大やけどを負わされるからである。

保証金もできず、印刷所も見つからないとなると、『講談倶楽部』の創刊どころか『雄弁』の発行もできなくなる。窮地に陥った清治に救いの手を差しのべたのは、郷里の桐生で織物工場を経営する妹婿の野間善次郎だった。善次郎の3男・清三が語る。

〈野間善次郎がそのころ二千円の積立をしていたので、それを元にして足利銀行から三千円借りた。創刊の際には、そういう金が軍資金になっている。この使いにはおばさん(左衛)が(桐生に)来たのです。苦しいときが長く続いたから、なかなか返せない。梓弓ではありませんが、東京の兄にわたしたら、返ってこなくたって文句はいわない、ほしいだけの額はできるだけ工面をして、調達するのが自分らの立場であるというような気持ちで、野間善次郎はいたようです〉

ちなみに「梓弓ではありませんが」というのは、『太平記』にある楠木正行(まさつら)の辞世の句「かへらじとかねて思へば梓弓 なき数に入る名をぞとどむる」を踏まえている。

清治を支援したのは善次郎だけではない。臨時教員養成所以来の親友である栄田猛猪(国語学者。のちに『大字典』を編纂)は家を整理した残金の500円を提供した。左衛も、定期預金していた小学校の退職金200円を解約した。こうして当面の発行資金が確保できたので、秀英舎(のちの大日本印刷)が前金での支払いを条件に印刷を引き受けた。