「民間の空襲被害者にも救済を」という声に、政府は耳を傾けるか

被害調査すらもまともになされない中で
栗原 俊雄 プロフィール

当事者たちがいなくなるのを待っている?

東京では星野弘さんが長く運動をリードした。中学生だった時に東京大空襲に遭った。鎮火後は遺体の始末を手伝わされた。現在の東京スカイツリーを見上げる川に、たくさんの遺体が浮いていた。拾ったトタンに遺体を乗せ、仮埋葬地の公園まで運んだ。焼けた遺体から首や足が落ちたが、すべては拾えなかった。

近代戦に「銃後」はない。本土も爆弾が落とされる戦場だった。海外で戦っていた兵士たちと同じように、民間人も戦いの中にあったのだ。しかし行政は、そうした民間人への補償を拒否してきた。司法はその差別を追認した。

凄惨な体験と国家による差別は、星野さんの裁判、立法運動のエネルギーともなった。2007年、東京大空襲の被害者131人が国に補償をもとめて東京地裁に提訴した際、原告団長を務めた。2013年に最高裁で敗訴が確定した後も、立法運動の中心にあった。「何の罪もない人たちが戦争でたくさん亡くなった。戦争を始めた国が謝罪も補償もしないのはおかしい」と話していた。

 

だが悲願の立法を見ることなく、昨年6月17日、誤嚥性肺炎のため亡くなった。87歳だった。

他にも運動の中核にあった人たちが亡くなったり、体調を崩して運動に参加できなくなったりしている。敗戦時10歳前後の人が今は80代半ばであり、自然だろう。大阪大空襲原告団23人のうち、現在動ける人は「5人くらい」(安野さん)だ。

それでも国会が開かれる度に、空襲被害者たちは立法を期待して活動する。しかし実現しない。昨年10月24日~12月10日の臨時国会では、政府が提出した13の法案がすべて成立した。特に注目されたのは外国人労働者の受け入れを拡大する改正出入国管理法に注がれた。野党が激しく反対する中、強行採決などのドタバタによって同法は成立、メディアの関心も集めた。

他方、空襲被害者救済法は審議どころか提出さえされなかった。さらに言えば、提出される雰囲気はまったくなかった。「この国の為政者たちは、結局のところ当事者たちがいなくなるのを待っているのではないか」。筆者はそんな疑念を抱いている。

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冒頭に見た12月8日、全空連の集会とともに議連の総会も開かれた。2017年の衆院解散・総選挙に伴い、野党の再編が進むなど、議連の構成を再確認する必要があった。
河村会長は引き続き法成立を目指すことを確認し、「再スタートしたい」と述べた。

筆者は、議連の活動が続くことにほっとする一方、この1年余で実質的に進んでいないことを確認したことで、危機感が高まった。

前述のように被害者の高齢化が進んでおり、命を削って活動をしている。当事者にとっての1年は、青年の1年とは重みが違う。もたもたしていたら、救済すべき当事者たちがいなくなってしまう。

河村会長が繰り返し言うように、空襲被害者は広範囲にわたるため、対象をしぼることは容易ではない。すでに引揚者やシベリア抑留者らへの特別給付金がなされていることなどから「戦後補償問題はすでに終わっている」という声も、行政や政治にも根強い。

しかし他の戦争被害者に補償や援護をしたことが、民間の空襲被害者にそれをしなくていい理由にはならない。むしろ空襲被害者に対する差別が浮き彫りになっている。

残された時間は長くない。今月、通常国会が始まる。行政と司法は、この問題を解決することはできない。政治は今、責任を果たす最後の機会に直面している。