「民間の空襲被害者にも救済を」という声に、政府は耳を傾けるか

被害調査すらもまともになされない中で
栗原 俊雄 プロフィール

「これでは義足も買えません」

支援する弁護士や議員らは「当事者が健在なうちに何とか立法を」と思っている。筆者も、長く取材している記者として同じ気持ちだ。ただ法案の骨子ができあがるたびに対象者や金額などが減っていくのをみると、「もしこの法律ができたとして、どう評価したらいいのだろう」と悩む。

たとえば金額。弁護団らの想定は対象者1万人、予算は50億円だ。高額である。しかし前述のように元軍人・軍属らに累計60兆円を支出していることを考えたら、驚くべき低額とも言える。しかも、軍人恩給のような年金ではなく、支給は一度限りである。

活動を続ける空襲被害者の胸中も複雑だ。たとえば大阪空襲原告団代表世話人を務めた安野輝子さん(79)。6歳のころ、空襲で左膝から下を失った。杉山さんの活動を新聞で知り、参加した。以来70年代初めから40年、補償実現の運動を続けている。

 

2017年、上記の骨子を知って息をのんだ。「戦後72年の片足人生の心身の苦しみが、足1本が、50万円ですか……。これでは私が今つけている義足も買えません」。しぼりだすような言葉は、筆者の胸に刺さった。

現状の骨子では戦没者の遺族、両親を失って塗炭の苦しみの中生きてきた戦災孤児は対象外である。けがをしたものの、障害者福祉法が定める障害を負わなかった人、同じく財産を失った人たちも、もれる。

法案にある「慰藉」という言葉にひっかかりを感じる人もいる。「慰めてほしいわけではない。差別せず、同じ人間として国にしっかりと謝罪、補償をしてほしい」ということだ。確かに、人為では防ぎようのない自然災害ならば国は「慰藉」でいいかもしれないが、権力者が始めた戦争は人災であり、被害者に対して行われるべきは「慰め」ではない。

法案に対するさまざまな思いを飲み込みつつ、全空連はたびたび国会内などで集会を開いてきた。多くの国会議員が駆けつけた。彼ら彼女らは立法を目指していることを伝え、「ともに頑張りましょう」などと発言する。

「杉山さんが元気なうちに」という声もよく上がった。本人は集会のたび、顔の半分近くを覆う大きな眼帯をして名古屋から参加した。2015年12月8日。国会議事堂前で、全空連の集会が開かれた。路上に補償を求める横断幕。空襲被害者や遺族ら50人を前に、杉山さんはマイクを握った。

「とうとう100歳になりました。まだ援護法の『え』の字もできていない。みんな苦しんでいます。『私たち空襲の被害者を助けて下さい』と言えば助けてもらえると思っていた」。半世紀近く運動を続け、行政と司法の壁にはね返されてきた。それでもあきらめない。寒風の中、独特の張りのある声が響く。「二度と戦争のない国にしなくてはいけない。頑張りましょう」と叫んでしめくくった。

筆者が杉山節を聞いたのは、これが最後だった。2016年9月18日、老衰のため亡くなった。101歳。市民らによる戦後補償運動史のシンボルだった。