「民間の空襲被害者にも救済を」という声に、政府は耳を傾けるか

被害調査すらもまともになされない中で
栗原 俊雄 プロフィール

一律50万円。それでも…

驚くべき責任放棄をし続ける司法をよそに、被害者たちは立法による解決を求めて運動を始めた。先駆的な活動をしたのは、杉山千佐子さんだ。29歳の時、名古屋大空襲で顔面をえぐられる大けがを負った杉山さんは1972年、全国戦災障害者連絡会を設立。57歳の時に、持ち前のリーダーシップを発揮し、主に野党だった社会党と連携して空襲被害者に補償する立法を目指した。同会の会員は最大760人に上った。

一方、名古屋大空襲の被害者の中には裁判による補償実現を求める人もいたが、1987年に最高裁で敗訴が確定した。この判決では、空襲被害者への判決で「受忍論」が初めて登場した。黒い画期であった。

東京大空襲の敗訴が最高裁で確定したのは2013年。大阪大空襲は2014年。何の罪もなく、国策である戦争によって被害者となった人たち、80歳前後の人たちがつえをつき、時には車いすに乗って裁判を続けている。国は頑として補償に応じない。

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筆者はその現実を取材していて胸が痛んだ。同時に、この現実を広く知ってもらいたいと思った。戦闘は74年前に終わった。しかし被害者たちにとっての戦争は続いているのだ。

原告たちは裁判闘争と同時に、立法運動も進めた。全国の空襲被害者による全国空襲被害者連絡協議会(全空連)が設立されたのは2010年であった。翌年には空襲被害者にむけた立法を目ざし、超党派の国会議員による議員連盟(議連)が発足。議連は「空襲被害者等援護法」の素案をまとめた。

 

死者1人につき遺族に100万円▽15歳未満で孤児になった人に100万円▽負傷や病気になった人に40万円、70万円、100万円を支給するものだ。戦後補償問題に比較的前向きだった民主党(当時)政権下だったこともあって、空襲被害者らの期待は高まった。だが同党の退潮もあって、素案は日の目を見なかった。そこで15年、空襲被害訴訟の弁護団だったメンバーを中心に、新たな案が作られた。

対象は生存する障害者のみ。被害の程度に応じて150万円、70万円、35万円を支給するものだ。この案も実現しなかった。

こうした中で2016年12月、亡くなった自民党衆院議員の鳩山邦夫会長に代わり、同議員の河村建夫元官房長官が会長となった。新体制となった議連は、民間戦災傷害者に見舞金を支給している名古屋市の担当者から制度の説明を受けた。法制定を前提として、どのように運用できるかを調べるためで、前向きな姿勢が感じられた。

空襲被害者や弁護団との話し合いも進んだ。議連は弁護団と相談し衆院法制局の協力を得て新たな法案の骨子ができた。対象は空襲や沖縄戦など民間の戦災障害者で一律50万円を支給するというものだ。