【独占告白】高橋由伸「これからの僕の『新しい夢』を語ろう」

初めて語る「胸の内」と「第二の人生」
田中 大貴 プロフィール

7割の失敗をどう受け入れるか

――現役時代、プレッシャーを克服するためにどんなことをしたんでしょうか。

高橋 いざ(グラウンドに)立ったら目の前のことをやるしかないわけだから、「プレッシャーに勝つための正解」というものがあるわけではないと思いますね。年も取っていくわけだし。練習する、準備するというのはひとつ(手段として)あるかもしれないけど、準備をすればするほどプレッシャーを感じもする(笑)。「これだけやったんだから失敗したくない、成功したい」って。

プロ野球はほぼ毎日試合があるから、日を追うと慣れもあるのは事実。でも、長いこと準備してきて挑む開幕戦とか、優勝して日本シリーズとかクライマックスシリーズとかやっぱり緊張するよね。

――えっ、開幕戦はやっぱり緊張していたんですか?

高橋 する。めちゃめちゃする。やっぱりいいスタート切りたいわけじゃない? 選手の時も監督の時も、開幕戦の緊張感は他の試合とはひと味もふた味も違いました。スポーツ選手にとって「その年の一番最初の瞬間」はとても重要な意味を持つんです。

 

――緊張すると言いながら、2007年には開幕戦一番バッターで初球ホームランを打っていましたよね。緊張を力にするにはどうしたらいいんでしょう。

高橋 結局それが最後までわからないから、同じことを繰り返してきたのかもしれない。

――努力は裏切らないってことでしょうか。

高橋 いや、努力しても裏切られる時はいっぱいあると思いますよ。やっぱり僕らバッターなんか、10回打席に立って、3回しか成功しないわけじゃないですか。極端な言い方をすると、7回も努力に裏切られているわけです。その失敗をきっちり受け入れないといけないですよね。

先日。ある経営者の方とお話ししたら、「野球は7回失敗できるけどビジネスで7回失敗したら話にならん」っておっしゃっていて、ああ、これからはあまり失敗が許されない世界で生きていくんだな、と身が引き締まりました(笑)。

ジャンケンでも勝ち運を使いたくない

――野球をやめたいと思ったことはあるんですか?

高橋 ありますよ。しょっちゅう。子どもの頃の方が辞めたいと思いましたね。プロになってからはやめたいというより、(2004年オリンピックの)アテネの時は「早く終わってほしい」「この重圧から早く解かれたい」と。あれは特別でしたね。初めてオールプロで闘いにいって、長嶋監督がいて、直前で倒れられて(編集部注:監督に就任した長嶋監督が本大会直前の4月に脳梗塞で入院、助監督の中畑清氏が監督をつとめた)。どうしても全部勝たなくちゃいけないって相当な重圧でした。

――アテネの時に、ヤクルトの宮本慎也さんが守備の際「自分のところに打球飛んでくるな」って思っていたと言っていました。

高橋 そうそう、あと「変なとこで打順回ってくるな」って思ったりもする。「変なとこ」ってチャンスだったりするんだけど、責任が大きい。そういう考えは前向きじゃないんだけど(笑)、できれば自分のせいにはしたくないって誰でも思うんじゃないかな。

――しかし、この時は成績もよかったですよね(個人成績で高橋氏は日本代表最多の3本塁打、日本代表チームは前回負けたキューバにも勝利して銅メダル)。アテネで日の丸を背負った時に結果が出たというのはどういう気分でしたか。

高橋 3位という結果がいいかどうかはまったく別の話ですけど‥‥…。ただチームとしては、編成に1球団2人という制約があったりもしたけれど、ある程度みんな目指すところが一緒だったからまとまっていましたよね。

――アテネ行きを断念した長嶋さんの幻のユニフォームがアテネに行きましたね。トーナメント中、ユニフォームの背番号3に手を当てていたシーンがありました。

高橋 何かにすがりたくなるんだよね。不安でしょうがない。とにかく何かで心落ち着かせたい、自分を落ち着かせたいとなるんです。

――ちなみに勝負事はお好きですか?

高橋 嫌いではないんだけど、勝ち続けることは難しいと思っているんで、監督になってからは野球以外の勝負事はやらないようになりましたね。競馬とか麻雀とかだけじゃなくて、ジャンケンもしたくなかった。「勝ち運」を余計なところで使いたくないから(笑)。結局あんな程度しか勝てなかったけれど、それでもどうしても、ひとつでも多く勝ちたかったんですよ。