【独占告白】高橋由伸「これからの僕の『新しい夢』を語ろう」

初めて語る「胸の内」と「第二の人生」
田中 大貴 プロフィール

選手からいきなり監督になって

――2015年秋、突如現役引退を発表し、そのままジャイアンツの監督に就任しました。私はその時もインタビューをさせてもらいましたけれど、あの時はみんな「現役お疲れさまでした!」より「さあ、これから監督頑張ってください」という感じでしたよね。

高橋 だから今は「やっと引退」、という感じが強いですね。

――私はあの時、もう「由伸さん」と呼べないなと思いました。選手の方々とは、つい先日まで一緒に選手として仲間だったのが監督に変わって、関係性はいかがでしたか。

高橋 うーん……実はそこが難しかった。別に僕はどう接してくれてもよかったんだけれど。基本的に、選手との距離は近くなるように意識していました。でも、中には「監督なのに選手の気分が抜けてない」「選手の気持ちでやってる」という声もあったし、逆に監督と選手の距離が近いことが高橋のいいところだ、と言う人もいました。

ただやっぱり立場が違うわけだから、正直「同じじゃいけないな」って思ってた。(阿部)慎之助なんて十何年一緒にやっていたわけだから、戸惑いはあっただろうなと。最初は微妙な空気だったなあと思うけど、彼らも彼らで非常に気を遣っていたよね。今まで「由伸さん」って言っていたのを「言っちゃいけないんじゃないか」って感じているのが伝わってきましたよ。

――プロ野球の監督と選手って、通常は距離が遠いものなんでしょうか? 

高橋 僕が最初に入団した(1998年の)時は長嶋(茂雄)監督なんで、もちろん近くないですよ(笑)。よく一緒にいましたけれど、そんなにたくさん話すことはなかったですし。もちろん選手も経歴やレベルによりますけどね。原(辰徳)さんが監督になった時は、僕はチームの中軸を担っていたので、当然監督との距離は近かった。よく話をしました。長嶋監督は、やっぱり特別だったかな。野球の神様と言われている人なんだし、そりゃあ選手も緊張するよね(笑)。

「自分のため」と「チームのため」の違い

――選手との距離が近かったとしても、監督というのは、時には冷酷にならないといけない部分がありますよね。

高橋 そうですね。試合に関してはなるべく冷静に「勝つために誰を使うか」を考えていたつもりではあります。

選手は自分が打席に立つ数で給料が上がったり下がったりするわけだから、「自分のため」にやるのが一番でもある。プロの集まりだから、それぞれ考えていることも違う。そういうひとりひとりの気持ちはよく分かっているんだけど、ただ、僕らは彼らの成績を上げるために監督をやっているためではないから、まったく同じ考えではなくなるよね。「チームが勝つため」に今いる選手をどうやって使うか、が一番大切で。そこが監督のつらいところでもあるよね。

――ミーティングの時には、選手たちにどんなことを言っていましたか?

高橋 一番よく言っていたのは、「いま目の前のことに最善を尽くしてくれ」ということ。試合に勝つとか、優勝するということは、ある意味プロなら当たり前の目標。だから「勝つぞ」とか「優勝するぞ」とかはあまり言わないんです。あとは「チームのために」ということも、あまり言わなかった。

何かの本で、「『チームのために』とか『なんとかのために』って言うやつほど、必ず言い訳する」って書いてあって、なるほどなと思ったんです。まったくそうかといえば違うかもしれないけど、確かに、そこには一つ逃げがあるよね、「だってそのためにやったんです。だから、失敗しても許してほしい」って言い逃れができてしまう。

 

野球のことが頭から離れなかった

――真山仁さんの『ハゲタカ』シリーズや本宮ひろ志さんの漫画『サラリーマン金太郎』などが愛読書で、本から学ばれることも多いんですよね。監督時代は読書する時間はあったんですか?

高橋 選手の時以上に、監督になった時の方が頭の中から野球のことが離れないんですよね。だから監督になってからは、本よりもどうしても選手や試合に関する資料を見ちゃうし、チームとゲームに関することばかり考えているから、本を読んでも頭の中に他のことが入って来ないんです。選手の時は頭の中を切り替えることも大切だから、それこそ試合が終わったらよく本を読んでいたんですけどね。これからたくさん読みたいですよ。

――監督になると頭を切り替えるのは難しい?

高橋 難しいね。試合終わってからずっと寝るまでその日の試合のことを考えちゃうんですよ。やっぱりこっちだったかな、あっちだったかなって。試合前のことから考え始めちゃう。選手をこの人にすればよかったかな、ピッチャーなら変えなきゃよかったな、変えればよかったな……そんなのばっかり考えてしまう(笑)。だから、試合の最中も試合の後も、考えたことをメモにまとめていました。もしかしたら読むより書く、のほうが多い3年間でしたね。