僕が小説家になる大きな契機になった作品は、『スーパーマーケットまでの旅』でした。
デビューの少し前に読んだエッセイで、それまでは自分の日常から離れた、「高尚な小説を書かなくては」という気負いがあったんです。例えば大江健三郎の文体を真似したり、世界文学の名作ばかり読んで、こんなスケールの作品を書かなくてはと思ったり、いろいろ迷走していて(笑)。
でも、この本を読んだことで、「ありのままで良いんだ」と思うようになりました。
本作は、スーパーが身近にあるごく普通の日常生活の楽しみを瑞々しく切り取っていて、小説もこれでいいんだと思った。日々の生活、ひいては生きることを積極的に肯定しようとする雰囲気が感じられて、そこが大好きな点ですね。
『アンネの日記 海外留学生受け入れ日誌』はある高校における、いわゆる業務日誌。ブラジルからの留学生を迎え入れた、クラスの担任の先生が書いた日誌をそのまま書籍にしたものです。
デビュー以来、学校を舞台にして小説を書きたいという思いがあって、普通の学校の様子がわかるものはないかと、教育書の棚を長い間探しました。でも、全然なくて。
学校の先生によって書かれた本はありましたけど、それは先生自体が、ヤンキー先生みたいに特徴のある人で、書かれている内容も、ドラマチックな出来事が中心になっているようなものだったんです。
なかなか資料として活用できるものがなくて困っている中、古書店でこの本を見つけました。
高校2年生の新しいクラスがはじまって、翌年の春になるまでの1年間の記録です。文化祭などの行事はもちろん、一つひとつの集会やテストなども、事細かに記録されている。また、一日ごとの記録も克明です。
本作を主要な資料として執筆した『私のいない高校』においては、修学旅行の行程をそのまま踏襲する形にしました。他の場所も検討してみたんですけど、創作ではなくて再現したかったんですね。
また、時間割りのある学校的日常をいかに描くか、連綿と続く日常を表現したいと思いました。
時間割りは普通に考えれば、小説とは真逆にあるものです。
あらかじめ定められていてそのまま進む日常というのは、あまり小説的じゃない。でも、何気ない日常はそれだけできらめきを持っていて、小説でも十分に生かせるのだと、本作から教えられました。
3位は『古事記』です。『日本書紀』などのいわゆる神話は、書名だけは知っていましたけど、普通に読めるものだと思ってはいませんでした。
戦前の皇国史観の影響で、戦後の教育現場からは遠ざけられていたんですよね。そういうこともあって、難しいものというイメージがありました。
しかし、出てくる神様はどれもすごく人間的で、しかも話としても自由奔放。神話ってこんなものでいいのかと、新たな視野が開けました。
他に魅力的な点としては、いろんなところに神が生まれる点ですね。とてつもない生まれっぷりを見せられて、嬉しくなってくる。その世界の豊饒さに惹かれましたね。
『東海道中膝栗毛』は江戸時代のベストセラーですが、僕が読んだのは原本の約10分の1の分量の、子ども向けの抄訳です。ただ、あまり子ども向けという感じはなくて、子どもにとって耳慣れないような言葉や文化も頻繁に出てくる。
今の童話などを見ると、難しい言葉や、毒がある言葉を使わないような、配慮が過ぎているものも多いですよね。本作は子どもを子ども扱いしない、おもねらないところが素敵で、心に残ったと感じます。
江戸戯作に開眼した一冊で、抄訳ながら弥次喜多道中の痛快さを存分に楽しめます。
『うわさのベーコン』はかなり独特な小説です。
文章としてはめちゃくちゃで、誤字脱字や、敬語表現の間違いなども多い。ちゃんとした文章を是とするのであれば、まず箸にも棒にもかかりません。
でも、その積み重ねが独特のリズムというのか、独自の世界を表すことに成功している。そしてこの凄まじいまでの自由さは何なのか、読むたびに圧倒されます。
既存の文法やルールを無視しても作品は成り立つんだと知って、自分でもいつかこのような作品を書きたいです。
小説家デビューをしてから15年以上になりますが、書いているとどうしても、仕事としての読書をしがちで、それはちょっと払拭したいなあ、と(笑)。
今後は一読者として、単純な読書の楽しみを追求していきたい、と思っています。(取材・文/若林良)
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