2018年はなぜ「パワハラの年」だったか〜世代と戦争経験で考える

古い精神主義が排除されていった一年
堀井 憲一郎 プロフィール

とどめを刺す「ゆとり世代」

大正生まれ世代が社会の一線から退くのは1980年代になってからである。

1980年代にわが社会は変質を始める。「戦場で戦うことに比べれば、これぐらいが何だ」という文言が通用しなくなる。戦場が想像できないのだから、当然である。

ただもともと作られたシステムが強固であり、戦争に行った世代が退いたくらいでは、そのシステムは変わらなかった。その核にある精神が変わることなく、そこからまた30年以上、ずるずる続いてきたのである。

それがようやっと、2010年代の終わりになって、変わっていった。

軍隊方式の名残りにとどめを刺そうとしているのは、「ゆとり世代」およびその前後の若者たちである。

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ゆとり教育のもともとの目的は、それまでの知識偏重の教育を脱し、思考能力を高める教育に切り替えようというものだった。それが、ただ覚える量が減ったため、前の世代(そしておそらくそのあとの世代)に比べて「モノを知らない世代だ」ということでしきりに揶揄されている。

困った若者の代表のように言われているが、ゆとり教育は、やはり一定の成果をあげていると私はおもう。

やさしさを大事にする社会

それがたとえばこの2018年の告発である。

ゆとり教育を後押ししたのは、「偏差値重視の子供たちの過酷な受験勉強」状況を変えたいという保護者の熱意でもあった。無意味な勉強ばかりしてかわいそうだ、という親心が教育システムの変更を要求した。

私の勝手なイメージでは、「我が子を厳しすぎる教育環境から守りたい」という母親の強い願いによるものだとおもっている。母の愛が教育を変えたのではないか。そういう想像をしている。問題もあるが、でも反面、すばらしいことだったともおもう。

軍隊方式は男の論理である。マッチョそのもの、力で押さえつけようという世界観がもとになっている。

ゆとり教育と、それを受けたゆとり世代の特徴は、私は「やさしさ」にあるとおもう。それぞれの人を大事にしようという心持ちである。

 

全員がそろって同じことをしろという軍隊式から、個々人が自分たちに合った方式で鍛えればいいという「ゆとり式」へ移行しようとしている。社会に余裕があるのなら、ゆとり式がいいとおもう。

ゆとり教育を受けた世代には、きちんと芯の強い人間が育っていると私はおもう。
個性を伸ばそうという考えは、身体性を重く見ることになり、優れたアスリートの卵は見出されやすい環境になった。