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殺人事件の記憶は消せるのか?「忘れられる権利」の限界を指摘しよう

新しい可能性はあるのだろうか

「忘れられる権利」とは何か?

たとえば自分が若くて売れなかったころに引き受けた少し露出度高めの仕事の写真が、大女優になったいまでもインターネットの検索結果として延々と表示され続けるとしたら、現在の名声や評価が傷付けられた思いがするだろうか。

会社の経営が行き詰まっていたときに財産の競売を申し立てられたことがあり、無事に立て直したいまでもその情報が検索で出てくるとしたら、どうだろうか。

EUで導入された「忘れられる権利」(the Right to be Forgotten)とはこのような状況で過去が世間から忘れられることを求めるためのものである。

さきほど言及した第一の例(過去のヌード写真)に関する請求が2011年にフランスで認められたことによって議論が始まり、情報を消し去ることを検索エンジン(具体的にはグーグルやヤフーのような事業者)やウェブサイトの設置者に要求する権利としてその実現が構想された。

ヌードの載った雑誌や競売公告の掲載された新聞が物理的にこの世から消えていき、人々が過去を忘れ去っていくのと同様に、ネット上の情報も消え去り忘れ去られるようにされるべきなのではないか、ということになるだろう。

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立法による導入提案に対してはさまざまな議論があったのだが、第二の例(競売公告)に近い訴訟が実際にスペインで提起され、検索事業者に対する請求が欧州司法裁判所で認められたことにより(2014年5月13日)、一挙に決着が付くことになった。

この結果、2018年5月に施行されたEUの一般データ保護規則(the General Data Protection Regulation; GDPR)は、17条でこの「忘れられる権利」を規定し、個人データの本人(データ主体)から管理者に対してデータの消去が請求できること、そのデータが収集時の目的などに照らしてもはや必要なくなっているなど一定の条件を満たす場合には管理者がその請求に応じる義務があることなどを規定するに至った。

自分のイメージを形作る情報を市民各自がコントロールし、不当と思われるものを消し去ることを通じて過去が適切に忘れ去られる状態が実現すべきだというのが、GDPRに表現された「忘れられる権利」の発想だということができるだろう。

 

しかし、これが個人に関する情報のコントロールとして適切な方法なのかと言えば、かなりの疑問が残る。

たとえばある人物が「忘れられる権利」に基づいて自分の過去の犯罪履歴をデータベースから消去したり、検索結果から消し去ったりすることを請求したような事態を考えてみよう。

たしかに一定の場合にはこのような請求を認める必要があると、消し去りたい過去を抱えていないような市民であっても考えるかもしれない。

ノンフィクション『逆転』事件(最高裁判決平成6年2月8日)のように、罪を償ったあと事件の起きた土地を離れ、新しい環境で新しい人間関係のなかで立ち直ることを目指している人(そしてそれに10年以上を経てかなり成功しつつある人)を考えたときに、そのような努力が検索結果を通じてつきまとう過去の影のためにいつまでも損なわれることは望ましくない、更生の機会を保障した方が社会全体にとっても適切だと考える人は多いだろう。

だが、請求が認められ過去が消し去られたことを確認した上でその人物が公職の選挙へと挑んだ場合はどうだろうか。過去に対する十分な償いがなされ、更生を目指す時期が来たと社会や市民が考えないような場合にはどうだろうか。

そのような例として、ドイツで実際に起きた事件を紹介する必要があるだろう。