米国「景気後退」が始まると…円高・株安再来の足音が聞こえてきた

1ドル90円、日経平均15000円も
竹中 正治 プロフィール

円売りキャリートレードの膨張と収縮

では、なぜ投資家層は平時では円売り持高で、景気後退や金融危機の有事にはリスク回避の手仕舞い(円買い)という行動になるのか。この点はやや長い説明になるが次の通りだ。

FXトレードの経験者ならご存知だろうが、円は2000年代以降ほぼ恒常的に超低金利であり、ドルを始め高金利通貨との為替取引で円売り・高金利通貨買いの持高を作って維持していると、外貨と円の金利差分を直物と先物の差(スワップポイント)として獲得できる。

現在の直物と先物の差は1年で3.50円ほどだ。つまり100万ドルの円売り・ドル買いの持高を1年間維持すると350万円(=3.50×100万ドル)の収益が手に入る。

この金利差がもたらす収益に誘引されて、1980年代から様々な形で円を売ってドルなど高金利の外貨を買う持高が積み上がっては崩れるというパターンを繰り返してきた。高金利通貨買い・円売りが積み上がる過程では相場は円安に振れ、それが崩れる過程では円高に相場が振れる。

1973年の変動相場制移行で、それが最も劇的な形で生じたのは、1980年代前半の円安・ドル高と85年のプラザ合意を契機にした円高・ドル安への急転換だった。

1980年代前半のドル買いの主体は日本では生損保などの機関投資家で、インフレ対策のために厳しい金融引締めで高騰したドル金利につられて円資金をドルに換え(円売り・ドル買い)、米国債投資を彼らが膨らませた結果、230~280円というドル高が続いた。 

しかし、過度なドル高による米国製造業の空洞化や貿易収支の赤字を懸念した米国政府は、日欧など主要国に、ドル高是正のための協調介入によるドル売りを呼びかけ、その結果実現したのがプラザ合意だった。

日本政府も参加した協調介入のドル売りで1985年の末には1ドル200円手前までドルは下落、当時の大蔵省としてはちょうど良いくらいにドル安誘導に成功したと思ったことだろう。

ところが予想以上のドル下落に慌てた日本の機関投資家や輸出企業がドル安のリスクヘッジ(リスク回避)のためのドル売りを始めるとドル相場の下落が止まらなくなり、87年には120円まで暴落してしまった。

同様の展開は、高金利諸国の政府債に投資する投資信託(グローバル・ソブリン)や、先物為替取引やFXトレードによる円売りキャリートレードが大流行りになった2000年代にも起こった。

こうした円売り持高が積み上がる過程では円安となり、ドル円相場は2005年の1ドル100円台前半から07年の124円前後まで円安が進んだ。

ところは07年夏に米国でサブプライム危機、そして08年にリーマンショックと金融危機と景気後退が起こり、世界中の株価が下落した。株価の急落で大きな損失を抱えた投資家はリスク許容度を急速に低下させ、円売りキャリートレードも手仕舞い(円買戻し)に殺到したため、急激な円高・ドル安が進んだ。

 

ちなみに経済学の国際金融論では通貨間の金利格差について、長期的には金利格差の分だけ高金利通貨相場が下落するという、「金利平価原理」を標準的な為替相場原理として教えている。

投資家の多くは自覚していないのだろうが、経済・金融原理に挑戦し、打ちのめされることを繰り返しているのだ。

こうして平時には金利差に誘引された円売りで円安に振れ、景気後退や金融危機など投資家がリスク回避に殺到する有事の局面では円買戻しで円高に振れるというパターンが定着したのだ。

ただしそうではなかった期間もある。日本が銀行不良債権危機となった1997~98年、さらにそれに続く2004年頃までは、日本の銀行の抱えている不良債権が大きく、不安視され、「経済有事の際の円高」とは反対の傾向が見られた。

この時期は日米株価倍率とドル円相場の関係も上記とは逆の負の関係となった。これはグローバルな投資家層から、銀行危機の可能性を孕む日本の円資産自体が高リスク資産と思われたからだろう。