「我、フォッサマグナを射抜かんとす」地質学会が大地震に遭遇したら

巨大地溝の「急所中の急所」に挑戦して
藤岡 換太郎 プロフィール

源三位頼政にあやかって

フォッサマグナとは、日本列島がドラスティックな大変動をとげたときに生まれた巨大な地溝である。

日本列島は約2000万年前までは、ユーラシア大陸の端っこにへばりついていた。そこに3本の亀裂ができて広がり、陸地の一部が大陸からちぎれて離れていき、現在の位置にまで移動してきて、日本列島となった。そして大陸との間に日本海が生まれた。これが「日本海の拡大」といわれるできごとである。

ためしに、日本周辺の地図を90度ほど左に回転させて、日本列島がユーラシア大陸の真上で左右に横たわるようにして眺めてみていただきたい。日本列島がもとは大陸と地続きだったことが容易にイメージできるはずだ。

そして日本海拡大によって、日本列島は東西の二つの島に分裂した。それがどこかの段階で再びつながったのだが、つながる前には、その間には深い海ができていた。これがフォッサマグナの原形と考えられている。

そこへ南からフィリピン海プレートにのって伊豆・小笠原の島々が次々と衝突してきて、陸地が増えるとともに圧縮と変形を繰り返した。

こうして、新潟県、長野県、山梨県、神奈川県、静岡県、東京都を直接の範囲とし、岐阜県、富山県、群馬県も関連地域に含む巨大な(マグナ)溝(フォッサ)ができあがった。その深さは6000メートル以上におよぶ。

フォッサマグナをつくったこの激しい地殻変動は、5億年以上にわたる日本列島形成史の最後のほんの一部にすぎない。だが、それは日本列島にきわめて重要な影響をおよぼしており、しかも、いまもなお続いていて地震や火山活動を引き起こしているのだ。

ブルーバックスの山岸さんからフォッサマグナについて書いてほしいと依頼されたとき、私は最初、断った。それまでにフォッサマグナ地域の巡検は4回経験していて、丹沢山地(神奈川県)を除いてほとんどの地域を巡っていた。十分とは言えないまでも、土地勘のようなものが多少はできていた。

しかし、それだけではこの怪物の全体像はとても把握できない。いわば、自分はまだ群盲撫象、目をつぶってゾウを撫でているようなものだと思った。

なにしろフォッサマグナには謎が多い。その形成のしくみもさることながら、どの範囲をフォッサマグナとするかさえも、いまだに諸説があり混沌としているのだ。

フォッサマグナを発見したのは明治初頭に「お雇い外国人」として来日したドイツの若き地質学者エドムント・ナウマンだった。彼がこの地域を歩いた約140年前には、いたるところに地層が露出した「露頭」があって、地層を連続的に見ることができた。しかし現在では、多くの場所が地滑りなどを防ぐためにコンクリートで覆われ、先人たちが観察した露頭の多くが消失してしまった。現在の地質調査を困難にしている原因の一つがここにある。そのためフォッサマグナを研究することもますます難しくなっているのだ。

にもかかわらず、なぜこのミッション・インポッシブルを引き受ける気になったかといえば、ひとつには、専門書であれ一般向けの本であれ、フォッサマグナに正面切って戦いを挑んだものがほとんど世に出ていないことがある。あまりの手強さに、敬遠されているのだ。それでいいのだろうかという疑問があった。たとえドン・キホーテのように失笑を買おうとも、自分の現在の見解を世に問うことで議論のきっかけとなれば、何がしかの意味があるのではないかと思った。

フォッサマグナとは「鵺」のようなものだと私は考えていた。『平家物語』には頭がサルで胴がタヌキ、手足がトラで尻尾がヘビの「鵺」という怪物が登場し、夜な夜な御所に現れて帝をおびえさせていた。これに立ち向かったのが当代随一の弓の名手、源三位頼政である。頼政はみごとに鵺を射抜き、退治してみせた。

源頼政源頼政 Photo by Getty Images

およばずながら自分も源三位にあやかって、怪物の正体を暴いてみせようじゃないかという冒険心も、無謀にも湧いてきたのだ。

何が日本海を拡大させたのか

しかし、フォッサマグナとの格闘は予想以上に苦しいものだった。

ともかく多くの先行研究にあたり、何がまだわかっていないのか、何が論点となっているのかをあぶりだした。それだけでも骨が折れたが、もちろん勝負はそこからだ。源三位頼政として挑むべきはフォッサマグナの成因についての謎である。