「我、フォッサマグナを射抜かんとす」地質学会が大地震に遭遇したら

巨大地溝の「急所中の急所」に挑戦して
藤岡 換太郎 プロフィール

地質屋仲間から電話があって、狸小路に開いている居酒屋があるという。行ってみると大盛況で、とくに中国人が多かった。なぜか刺身や毛ガニや石狩鍋もあって、あるところにはこうもあるものかと驚く。ほかの仲間も呼んで、酒盛りになってしまった。

かなり遅くまで飲んだあと、もう電車は動いているというのに、ホテルまでの道をまた歩いた。この2日間で身も心もすっかり古代人になってしまったのだろうか。

それにしても水害・台風に地震と、平成の終わりはなんと災害が多いことか。平安時代にも、鴨長明が『方丈記』に記しているように災害が頻発していたことを思い出す。天災についての本を書いてみたいと思った。

          


もう説明するまでもなく、これは2018年9月6日未明に発生した北海道胆振東部地震に札幌市内で遭遇した私の体験記である。

奇しくも多くの地質学者を巻き込んだこの地質的大事件では、私にとってもラジオ、懐中電灯からパスワードに至るまで反省点ばかりで、実に多くの教訓を得た。

北海道胆振東部地震北海道胆振東部地震 Photo by Getty Images

しかし、「教訓」などと吞気なことが言えるのは震源から65キロほども離れた札幌にいたからである。震源地の厚真町では震度7を記録し、斜面崩壊や噴砂、液状化が起きて多くの死傷者を数え、さらに苫東の火力発電所は緊急停止して復旧に1週間以上もかかった。いずれは起こる大都市での地震でも、このようなことを覚悟しなければならないのだ。

だが、実は今回の地震で私は、紙一重のところで難を逃れていた。地質学会と巡検の終了後、そのまま北海道に残って旅行をする予定だったのだが、その初日に、震源の近くに宿をとっていたのである。もしも地震発生が4日遅かったら、どうなっていたことか。

札幌でスマホを充電したあと、その旅館にキャンセルの電話を入れてみた。ご主人とおぼしき人が出たのでほっとした。「よくお電話をくださいました」と礼を言われた。

怪物が残した爪痕

似たようなことが、以前にもあった。

2014年に私は、平田大二さん(神奈川県立「生命の星・地球博物館」館長)とともに編著者となって『日本海の拡大と伊豆弧の衝突』(有隣新書)という本をつくった。執筆は7名の地質学者だった。脱稿後、フォッサマグナのところがよくわからなかったので、ご専門の松田時彦先生を案内人にして、執筆陣の何人かでフォッサマグナ地域の巡検に出かけた。

その2日目は、当初は長野県に泊まる予定だったが、行程の効率がよくないので山梨県の下部温泉に変更した。その夜、皆でビールを飲みながら反省会をしていると、ぐらり、ときた。私はすぐに気づき「地震だ!」と言ったが、松田先生や平田さんは「藤岡さんは酔っぱらっているのだろう」と笑っている。

ならば、とテレビをつけてみて、驚いた。フォッサマグナ北西端に近い神城断層が動いたという。最初に泊まる予定だった宿は、そのすぐ近くだった。もしも予定を変更していなかったら──。一同、言葉を失った。

2014年11月22日22時頃に発生したこの神城断層地震では、最大震度6、負傷者46人、住宅損壊1800棟以上という被害が出た。

翌年に私は、糸魚川市(新潟県)にある「フォッサマグナミュージアム」の竹之内耕さんに、その震源地を案内していただいた。家が潰れ、墓石は倒れ、斜面は崩壊していて、田んぼにはおびただしい噴砂や亀裂が見られた。日本列島を分断するフォッサマグナという怪物が残した生々しい爪痕だった。

怪物はいまも息づいている、そして日本列島はいまだに姿を変えようとしているのだと実感した。