「開成をつくった男」の人生から浮かび上がる「咸臨丸神話」の誤信

創設者・佐野鼎の生涯を辿るとともに
柳原 三佳 プロフィール

日記に記された地球一周の詳細

手元に届いたそれは、わら半紙のような粗悪な紙に活版で印刷されたもので、決して状態の良いものとは言えませんでした。終戦直後の物資不足によるものでしょう、薄い表紙は色あせてシミだらけ。中のページもかなり日に焼けていました。ところが、本の状態の悪さとは裏腹に、その内容は実に鮮烈なものでした。目次には、

「横濱港を出でて太平洋に浮かぶ」

「ホノロロ港よりメールス島に至る」

「サンフランシスコ府に赴く」

「パナマ港よりアスペンヲール街へ」

「ニウヨルク港口より引返してパトマツク河を遡上す」

「ワシントン府に上陸してウイルライト・ホテルに入る」

「分析に因る日米金銀貨の比較」

といった項目が並び、続いて、ヒレドルヒア、ポルトガランデー、ローアンダ、喜望峰、アンジヨポイント、バタービア、香港……、といった外国の地名が次々登場するのです。

 

タイトルには「訪米日記」とあるものの、彼が足を踏み入れたのは、アフリカ、インド洋、アジアの国々など、世界中に及んでいることがわかりました。

使節一行が宿泊したワシントンのウィラードホテルのフロント。何度かの修復を経た今も当時の面影をしっかりと遺している

佐野鼎は日米修好通商条約の批准書を取り交わす目的の遣米使節団に随員として加わり、念願のアメリカ行きを実現していたのです。

丁髷を結い、大小の刀を携えた侍たちが、初めて異国の地に足を踏み入れ、西洋の最新文明に初めて触れる……。まさに、カルチャーショックの連続だったに違いありません。

パナマで初めて乗車した蒸気機関車の矢のような速さ。ワシントンやニューヨークで宿泊した一流ホテルの高級な設え。そこでふるまわれたフルコースの西洋料理。ホワイトハウスや国会議事堂、スミソニアン博物館などの見学。そして、美しいドレスを身にまとった西洋婦人たちのキッスの嵐……。鼎の日記には、各地で見聞きした衝撃的な出来事や、異国の習慣、風俗について生き生きと、具体的に記されていました。

使節団一行も見学したワシントンのスミソニアン博物館。外観は当時とほとんど変わっていない。日本人はこのとき、「博物館」の展示物に驚きを感じつつも、その存在意義を理解することができなかった

また、彼自身は軍事の専門家でありながら、アメリカの教育、医療、福祉に関する施設も精力的に視察しており、そこで得た情報を今後の日本にどう生かしていくべきか、深く考察していました。その日記に記載されていたのは、終焉を迎えた幕藩体制に対する抑制の効いた批判であり、日本が植民地化されることへの不安であると同時に、とくに福祉施設を見聞したことで深まったであろう、社会的弱者への眼差しでした。

江戸時代に書かれたものですから、難しい用語や読めない漢字も多々ありましたが、ぐいぐい引き込まれていきました。そしていつしか、血縁のあるひとりとして、佐野鼎という人物の生きざまをなんとか一冊の本に書き残しておきたいと思うようになったのです。

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