新雑誌のタイトルめぐり、命をかけて衝突した野間清治と男たち

「講談」か「快談」か、それが問題だ
魚住 昭 プロフィール

次は、望月の回想である。

そのときは夜も遅くて一時か二時ごろだったろう。電車なんか動かない。僕は「今晩はここへ泊まりますよ」といい、野間さんは「そうしてくれたまえ」というので野間さんの家に寝たわけだ。私も苦しんだね。その時は純真で生一本だったし、がむしゃらに突進してきたから弱ったな。

野間氏が(新雑誌を)出さんということになると、諸先生から原稿をもらった責任は僕のところにくる。どうしたものだろうかと考えちゃった。しょうがないから、上野の山へ原稿を持っていって身体とともに原稿を鉄道線路へぶち込んで死んでしまおうと決心した。

それには、しかるべき場所が必要だから、朝早く起きて下検分に行った。そしたら、あったんだ。そのとき涙が出たね。どういう涙か僕はわからんが、これで今まで僕に声援してくれた多くの人たちに対する申し訳が立つ、そう思って帰ってきた。すると、婆やたちが玄関脇の三畳でご飯を食べろと言う。

そのとき突然、ガタンピシンという足音がして、野間さんが二階から降りてきた。野間さんは朝寝坊だったが、その朝寝坊の人が早く起きて来た。やはり僕と同じく眠れなかったんだろう〉

清治は望月に訊いた。

「あなた、これからどうなさる?」

「どうなさるったって、ここまで来て、あなたとお別れすることになれば、私には私の考えがある。まあ、田舎へでも引っ込もうと思っております」

「この原稿はどうなさる?」

「原稿は私が作った原稿だから、これは私が持っています」

清治はしばらく考え込んで、こう言った。

「……僕が譲りましょう」

団子坂の家の門柱に大日本雄弁会と並んで、講談社という看板が掲げられたのは、それからまもなくのことである。

清治の無謀な冒険の始まりだった。

(第3章 了)