「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと

「分断」を避けすぎるリスクと向き合う
林 智裕 プロフィール

「反ワクチン」「代替医療」が生んだ被害

こうした問題は、世界中で議論が行われている「反ワクチン」運動や、それとしばしばセットにされる「代替医療」の問題とも、共通点があるように感じられます。

欧米では近年、いわゆる「意識の高い」富裕層や知識層を中心にワクチンを拒否する人々が増えた結果、克服されたはずの伝染病が現代になって再流行し、助けられたはずの命が奪われるケースが出ているといいます。

日本でも最近、麻疹や風疹が流行しました。いずれもワクチンで防げるものの、罹患してしまえば根治できる治療薬はありません。麻疹はかつて、天然痘と並んで「疱瘡(天然痘)は見目定め、麻疹は命定め」と言われたほど恐ろしい病で、命にかかわります。風疹は妊婦が罹患するとお腹の中の胎児にも影響すると言われ、これも恐ろしい病です。日本にとって他人事ではありません。

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「代替医療」を騙るものには、重い病で失意の中にある患者へ「もっと良い治療法がある」とデタラメな薬やセミナーなどを高額で提供し、適切な治療機会を妨げ、患者の寿命を縮めているものが多数みられます。2009年には山口県の病院で、「代替医療(自然療法)」を信じる人によるビタミンKシロップ投与拒否が原因で、乳児が亡くなった痛ましいケースもあります。

「代替医療」の拡大や伝染病の再流行によって公衆衛生が破壊されることで、たとえば彼らとは何ら無関係な生まれたばかりの乳児なども、大きなリスクに巻き込まれてしまっているのです。

こうした現状が実際にある以上、これらの思想と深い関係を持つ極端なスピリチュアリズム(「オカルト」と言ってしまってもよいかもしれません)への批判の多くは、社会の「分断」を進めるデメリットよりも、その浸透を防ぐことによって公衆衛生、ひいては人の命や尊厳、生活を護るといったメリットのほうが大きいのではないかと思います。

もちろん、そうしたものに「ハマる」人たちに対する「『バカバカしい』『キモい』『怖い』といった単純な嫌悪感や侮蔑の感情は、「理解」とは程遠い」という小池さんの見解自体を、否定するものではありません。

特に、批判が言説を超えて人物に及ぶことには細心の注意が必要です。状況によっては人物への批判が必要な場合もありますが、相手が公人やオピニオンリーダーであるならばともかく、単に利用されたり取り込まれたりしただけの人をも苛烈に攻撃すれば、客観的な事実の指摘や言説への正当な批判までも、「暴力」「悪」とレッテルをはられることにつながりかねません。

そして、攻撃された「被害者」は、自分たちを「保護」する人たちへの依存をますます深めてしまうことでしょう。言説ではなく人物に対する、無分別で不用意な攻撃が起こす弊害については、小池さんと私の考えはそう遠くはないと思われます。

しかし、スピリチュアルに批判的な言説について「単に『異物を揶揄する』こと自体が面白くて、そこに力を入れ始めてしまう」とする分析には、福島で「独自の信念」をもつ人たちからの激しい攻撃と被害を生々しく目の当たりにしてきた身としては、賛同できかねます。

 

「分断」を避けすぎることのリスク

筆者は、スピリチュアル的なものや文化を全否定したいわけではありません。「科学的事実や現実以外に価値はない」などと言いたいのでは全くなく、これも放射線被曝の問題と同様に、「量や程度の問題」だと考えています。

いたずらにスピリチュアルを否定するだけでは、一部の方々の心の拠り所を一方的に奪うだけにもなりかねないのも確かです。

人間が万能でも不老不死でもない以上、いくら尽力しても救えない病気や命、不遇は沢山ありました。そうした歴史の中で、人類は地域や言葉が違っても、それぞれに「祈り」や埋葬の文化を育ててきたのはご存知の通りです。

どうにもならない理不尽の中で他にすがるものもなく、絶望を少しでも癒してくれる、希望を与えてくれるものが、彼ら彼女らにとって「スピリチュアル」にもあるのだとしたら──仮に手にしているものが「ただの藁」であったとしても、そのささやかな祈りすら冷たく嘲笑し否定すれば、そうした人が自らを支えるものを必死で護ろうとするのは、無理もありません。

そうした「人」に対する「分断」を促すような態度には、私も一定の懸念を感じます。小池さんの主眼も、おそらくはそこにあるのでしょう。

しかしながら、それでも、「『分断』を避けるためなのだから、無関係な人にリスクや被害を強いても仕方がない」ということにもならないのです。