「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと

「分断」を避けすぎるリスクと向き合う
林 智裕 プロフィール

たとえば東電原発事故後、家族が極端な「脱被曝志向」に陥ってしまった方々の家庭で、実際に起こったことを伺ったところ、

・放射線を気にするあまり、外出の機会が減った。
・被曝の危険性を訴えるサイトばかりを見て、心身共に追い込まれた。
・現実には不可能な「ノンベクレル(放射性物質を一切摂取しない)」を達成するための高額商品に騙され、無計画な借金を重ねた。
・放射能の危険性や、配偶者の無理解を理由に、移住支援団体などの協力を得て、配偶者に無断で子供を連れて遠方に移住した。
・移住先で、デモや脱被曝の勉強会、講演会などにのめり込む。
・運動の関係者から、配偶者や国・社会への憎悪や、福島がいかに危険で恐ろしいのかを繰り返し吹き込まれ、子供にもそうした教育をおこなった。
・子供が移住先で馴染めない、いじめられるなどのトラブルが増加した。

などのケースをよく耳にしました。

実際に、私の身近なところでも、知人夫婦がこの中のいくつかと似た経過を辿り、離婚しています。「独自の信念」に基づいて過剰に被曝を警戒するあまり、家族や周囲を巻き込み、実害を大きくしてしまったのです。

Photo by iStock

デマの中で亡くなった、私の祖父

加えて、こうした極端な脱被曝運動にかかわる人々が、自身の主張を正当化するために発した言説が、福島に暮らす罪のない人々に対する攻撃や差別につながった面もあるのではないか、と筆者は考えています。

福島の子供の中には、県外に出て「放射能で光ると思った」「隣の同級生が物を落としたので拾ってやろうとしたら、放射能がうつるから触るなと言われた」「『汚い』『お金もらってるんでしょ』などと言われた」といったいじめを受けた子がいる、との報道も見られました(http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3947/1.html)。

また私事ながら、福島で農家として長年生きてきた私の祖父は、原発事故後に、「食べて応援はやめよう」「フクシマの農家は人殺し」といった心無い言葉やデマが飛び交う中、「死にたい…」と何度もつぶやき、失意のまま他界しました。日に日に衰弱していく祖父の最晩年の姿は、目に焼き付いて今も離れません。

 

この経験が、「福島に向けられる偏見やデマには、きちんと反論していかなければならない」と私が決意したきっかけの一つになっています。

もちろん、福島に住むことの危険性を訴える人々は、善意から「警鐘を鳴らしている」つもりなのだ、ということは理解できます。しかし一方で、そうした人々が加害者としての自覚すらないまま、被災者や当事者の命、尊厳を脅かしていることも事実なのです。

言うまでもなく、根本的な原因は原発事故です。しかし東電や国の責任とは別に、デマや偏見・誹謗中傷などによる二次被害を生んだ責任は、そうした「警鐘」の担い手にもあるのではないでしょうか。しかも彼らのほとんどは、過去の発言がデマや誤りであったと分かったあとも、謝罪や訂正をしていません。