抵抗の文学『献灯使』がトランプ時代のアメリカで評価された意味

多和田葉子・全米図書賞受賞の理由②
都甲 幸治 プロフィール

『献灯使』は抵抗の文学である

ゆえに多和田葉子は、透明なコミュニケーションに反対する。『エクソフォニー』で彼女は言う。「人はコミュニケーションできるようになってしまったら、コミュニケーションばかりしてしまう。それはそれで良いことだが、言語にはもっと不思議な力がある。ひょっとしたら、わたしは本当は、意味というものから解放された言語を求めているのかもしれない」。ここでの意味とは直線的な論理のことだ。

透明に意味を伝えるには、直線的な論理を使うしかない。AならばB、BならばC。こうした直線な思考は詩とは相性が悪い。「はすかい」と「破壊」が音でつながり、「紅田」と「血」が色でつながってしまえば、展開は誰にも予測不能になる。予測不能な言語はコントロールしにくいし、こうした詩の原理で生きている人を支配するのも難しい。

だからこそ、一見無害な言葉遊びに見える詩は、抵抗の原理となるのだ。ラップを見てみればいい。音の共通性で音がつながり、言葉がつながるラップは、アメリカ黒人の子供の遊びだった。けれどもこうした詩の言葉は、白人たちの支配する直線的な論理に貫かれた言葉の噓を見抜く。肌で感じている違和感を、詩の言葉は無意識から掬い出し、感情の籠もった歌にすることができる。論理では言いくるめられてしまう人々が、詩では声を上げることができる。

多和田葉子もまた抵抗する。全米図書賞の翻訳文学部門を受賞した『献灯使』も抵抗の文学だ。近未来の日本で、土壌はおそらく放射能で回復不可能なほど汚染されている。東京も壊滅し、二十三区の人口は激減している。老人はほとんど永遠の生を与えられているものの、子供たちは弱り果てて死んでいく。

 

だが政府は現実を覆い隠すために鎖国をし、外国語の学習や翻訳を禁止する。日本語も次々書き換え、「優しい」ものにしていく。「『体育の日』はからだが思うように育たない子供が悲しまないように『からだの日』になり、『勤労感謝の日』は働きたくても働けない若い人たちを傷つけないために、『生きているだけでいいよの日』になった」。どうしてこんなことをするのか。国民から思考力を奪うためだ。そしてその裏で、不寛容の暴力は蔓延する。

民営化された政府は国民が知らない間に法律を変え、外国の地名を口にすることを禁止する。法律の恣意的な乱用に怯えた人々は、いつ拘束されるかわからない恐怖に萎縮する。唯一の希望は密かに外国に派遣される子供、献灯使だ。現実から目を背け安定しようとすれば国は滅ぶ。もともと存在しない純潔を追求すれば、待っているのは死しかない。死よりも詩を。世界の丸みに沿って拡がる、偶然で喜びに満ちた詩を。

多和田の詩への呼びかけは、僕たちの呼吸も楽にしてくれる。彼女のコメントにもあるように、『献灯使』がトランプ時代のアメリカで評価されたことには大きな意味がある。

(「群像」2019年1月号掲載)

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