全米図書賞を受賞した多和田葉子氏(PHOTO/ 嶋田礼奈)

36年ぶりの快挙!全米図書賞を受賞した多和田葉子作品の静かな迫力

多和田葉子、全米図書賞受賞の理由①
今年で第69回を迎える、アメリカで最も権威のある文学賞である全米図書賞が11月14日(現地時間)に発表され、多和田葉子さんの小説『献灯使』の英語版 ”The Emissary” が翻訳文学部門を受賞しました。1982年に『万葉集』と樋口一葉の作品集が受賞しているため、今回の受賞は、日本の文学作品として36年ぶりの受賞となります。とはいえ、日本人には馴染みの薄い全米図書賞。『献灯使』という小説の何が評価され、受賞につながったのか。英米文学の第一人者である三人に寄稿していただきました。

檻の中のライオン

多和田葉子さんについて書くときは、作品そのものに強烈な個性がありすぎて「すいません、とてもご本人まで手が回りませんでして」というふうになりやすい。付き添いのお母さんみたいに後回しにしてしまう。「おっと、著者もいたんですね。これは失礼しました」と。

私も今まではそうだった。

しかし、今回はおめでたい場なので、まずはご本人のことに触れたい。一緒に仕事をしたことがある人なら、多和田さんがきちっとした、しかし、きちっとしすぎてもいない、バランスのとれた方だと知っている。威張ってもいないけど、卑屈でもない。こちらがお願いごとがあってもごく自然に微笑みかけてくれるし、でも、いつまでもニタニタしているわけでもなく、さっとマントを翻して次の予定へと歩んでいく人。

でも、だからこそ、多和田さんは私には「怖い作家」でもある。その意味は、怖いように見えて実は怖くないけど、怖くないように見えてほんとは怖い、ということだ。

 

そんな「怖さ」はおそらく多和田さんの揺るがぬ何かから来ている。びくともしない何かがある。かりにそれを「ライオン」と呼ぶことにしよう。多和田さんはこの多和田ライオンを檻に入れて飼っており、決して外には出さない。おそらく死ぬまでそうだろう。でも、ライオンはたしかにいる。ときどき柵の間から中が見える。のっそり歩いている。

『献灯使』にも、そんな「怖さ」が出ている。

多和田作品を見渡すと、一方に『容疑者の夜行列車』『雲をつかむ話』のような、どこまでほんとかわからないけど、どこか私小説風に見える作品がある。他方に『雪の練習生』のようなファンタジー味たっぷりのものがある。その両極をつなぐようにして、徹底的に言葉の滑走に淫する『球形時間』のような作品もある。

『献灯使』に収められた中短篇はいずれも「ファンタジー系」に分類したくなるものだろう。どの作品も近未来に訪れる、人類の惨状を描いている。もっとも極端なのは「動物たちのバベル」。人類はすでに死滅しており、イヌやキツネやリスやクマが、なんで人間はダメだったか、ということを井戸端会議で振り返っている。

しかし、本書の目玉は何と言っても表題作の「献灯使」。分量的にも三分の二ほどを占める。主人公の義郎はすでに百歳を超えており、ときおり二〇〇〇年代初頭の日本を追想しつつも、現在の社会にもそれなりに適応。しぶとく、たくましく生きている。

彼は曾孫の「無名」の面倒を見ているが、二人の対照性は明かだ。ばりばりと堅焼き煎餅を食べられる義郎と違い、無名たちはやわらかいものしか食べられない。次世代の軟弱な人類の象徴だ。