私は、会社の主役はトップではなく、社員でなければならないと考えている。
社員が主役になることで〝社員力〟が発揮され、会社は動く。
トップの意思がトップにとどまっている限り、会社は動かない。
では、誰がトップの意思を社員に転換させるか。
この転換装置となるのが「№2」。
私の言う№2とは、役職やポジションの「2番目」ではない。
副社長、専務かもしれないし、課長かもしれない。企業を変え、成長させる主役である。
その点、木股昌俊は、社長に就任するまで「№2」の役割を果たしてきた。
木股は1977年、北海道大学工学部を卒業後、久保田鉄工(現クボタ)に入社。
筑波工場製造第二課に配属、以降米ジョージア州の米国工場赴任、筑波工場製造第二課長、筑波工場長、取締役機械営業本部副本部長、同常務執行役員機械営業本部長……と生産技術畑を歩み、随所で「№2」として活躍してきた。
木股の№2としての特徴は、常に社員のモチベーションを高める〝舞台づくり〟を行ってきたことだ。
社員のモラールを高め、社員に生き甲斐を与える仕組みを考え、企業が成長を続けていくうえで必要な潜在的エネルギーを引き出してきた。
最初に№2シップを発揮したのは、1988年から7年間、米国工場建設に携わったときだ。
木股は製造担当として設備導入、従業員採用・訓練、生産の立ち上げから軌道に乗るまで製造に関する一連の仕事を任された。
木股が腐心したのは、従業員が満足して働ける環境づくりだった。
英会話は苦手だったが、いつも従業員への声掛けに努め、トラブルが起こると従業員と一緒に解決策を考えるようにした。
操業3年目、シフトを昼間と夕方からの2直から、深夜からの3直体制にすると、機械故障や不良品の発生で生産が遅れた。
ある折、木股は昼勤務の作業責任者に「残業せよ」と指示した。
ところが、気になって夕方再び現場に出向くと案の定、誰もいない。
木股は落胆し、その夜は一睡もできなかった。
翌朝早く、工場へ行くと音がする。
従業員に聞くと、「残業しろと言われたから、朝4時に来た」。
夜は家族一緒に食事をし、コミュニケーションをとる大切な時間だ。
しかし、朝ならどんなに早くても大丈夫という。
このとき木股は、米国人は家族を大切にしながらも、仕事にも一所懸命に取り組むことを確信した。
それが、従業員の満足度向上に心を砕く木股の原体験となった。
それを機に、木股は仕事の条件は従業員の意見を尊重しながら決めていくことにした。