フランスデモ、怒りの根底にある「庶民軽視・緊縮財政」の現代史

マクロンは折れた様子を見せているが…
小田中 直樹 プロフィール

なお、レジスタンスの指導者として名高いシャルル・ドゴールと、彼が創設した諸政党(まとめてドゴール派)、そしてドゴール派に属するジョルジュ・ポンピドー、ジャック・シラク、ニコラ・サルコジたちは、国民のすべてを支持基盤とする包括的(キャッチ・オール)政治勢力・政治家たらんと欲したので、評価は難しい。ただし、ドゴール派は徐々に右翼的な傾向を強めてゆくので、こちらに属するといっても間違いではないだろう。

どの政党も「庶民」を相手にしなくなった

問題は、1981年、ミッテランが大統領に当選し、左翼政権が誕生したときに生じた。彼は「財政規模の拡大と通貨フランの切り下げ」からなる、庶民にやさしい経済政策パッケージを実施したが、これは経済統合を進める欧州共同体(のちの欧州連合)の基本方針に反していた。

結局、2年後、ミッテランは、庶民に痛みを強いる「緊縮財政と通貨レート安定化」パッケージへと経済政策を180度転換し、欧州共同体の方針に従うことを余儀なくされた。そうしなければ、欧州共同体からの離脱が視野に入るからである。

これが通称「ミッテランの実験の失敗」であり、これ以後、左翼が政権につこうが右翼が政権につこうが、経済政策がかわることはなくなった。経済政策は基本的に「反庶民」となったのである。

ミッテラン元大統領〔PHOTO〕Gettyimages

なお、経済政策・欧州統合・庶民への配慮の三者の関係に関する詳細は、小田中直樹『フランス現代史』(岩波書店・岩波新書、2018年12月)をご高覧いただきたい。

しかし、こうなると、左翼のアイデンティティがなくなってしまう。1997年、大統領シラクのもとで首相となったリオネル・ジョスパン(社会党)は、左翼のアイデンティティを、経済の次元すなわち「庶民にやさしい経済政策」ではなく、社会の次元すなわち移民・女性・性的少数派などを尊重する「文化的多元主義」に求めた。

 

これ以後、「左右」の主要対立軸は「親中間層・エリートvs.親庶民」から「排他主義vs.文化的多元主義」に移行する。かくして「親中間層・エリート、排他主義」の象限に位置するのがドゴール派など旧右翼、「親中間層・エリート、文化的多元主義」の象限に位置するのが社会党など旧左翼ということになった。

それでは、庶民はどちらを選べばよいというのか。これは、どちらを選んでも「親中間層・エリート」であることに代わりはないのだから、じつに不毛な選択である。

ルペン一族とメランションの躍進

かくしてぽっかりと空いた「親庶民」の2つの象限に目をつけたのが、一方ではジャンマリーからマリーヌにいたるルペン一族が率いる国民戦線(現・国民連合)であり、他方では社会党の方針転換に異を唱えて離党したジャンリュック・メランションが共産党などともに結党した政党連合「不屈フランス」である。

前者は「親庶民、排他主義」、後者は「親庶民、文化的多元主義」の象限に、おのおの陣取ることになった。